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クリック20世紀より 祖父犬養木堂暗殺の重要要素をなした満洲問題は、その発生から満州国建立までの筋書一切を、極端に単純化して言うなら、たったひとりの、右翼的神がかりの天才とも称すべき人間に負うていた。「満洲問題解決のために犬養のよこす使者はぶッた斬ってやる!」と叫んだ(『花々と星々と』晴れた暗い日の章)あの、石原莞爾(昭和十三年当時少将、北満作戦部長)その人である。読者の忍耐をもうしばらく乞うことにして、太平洋戦争への確実な第一歩であったあの石原構想つまり満洲大問題について触れてみよう。忘れてはならないのは、石原莞爾が国学者の家に生まれ、東北出身者であったと言うことである。「神ながらの道」「すめらみことによる四海平和と五族同等」の「王道」を謳う国学に幼くして胸おどらせ、長じては草の根すら食用にするほどに荒れはてて貧しい日本の農村の悲惨に胸ふるわせた。財閥は肥え政治家は資本家と結託する・・・・・・「すめらみことの王道を実現し、広き天地に農民を救い」・・・・・・と石原青年は大夢をえがいた。その大夢の地を彼は、日露戦争の結果ロシアから鉄道と炭鉱の権益をもらいうけ従業の日本人も守護の兵をも多く送りこむことになった、あの満洲に見出したのである。単純極まりなく、彼は「そこに王道政治をつくれば」満洲地元の民、つまり満人も支那人も「共によろこぶ」と考えた。迷惑なのはそう勝手に信じこまれ見込まれた地元側であった。大夢を抱く神がかり的青年は、身を軍籍に置くや、夢抱く人にしてはめずらしい、理論的な明晰な軍法家であることを示し出した。彼の兵の用い方や作戦法はそれこそ天才的だった。日本の不幸はそこに始まったと言ってもよい。 石原君は、一言にしていえば天才肌の男である。そして純である。天才が働き、したがって転換が早い。自分は石原君を評して稲妻のようだという。今右かと思うと、一たんこうと考えればたちまち左に閃く。天才の然らしむるところである。それに物の表現の仕方が普通ではない。特殊の表現を用いる。裏をいうんだ。それを断定的に鋭くいうから、きくものは面食らう。怒っているようで怒らず、からかうかと思うと、からかってない。実に端倪すべからざるものがある。石原君のことを書いた本があるが、あれは却って石原君を傷つけている。石原君はもっと大きい。彼にはけちな考えはない。
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山岡鉄舟 勝海舟 西郷隆盛 清川八郎 |