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ラオス Laos

ビエンチャン Vientian


2011年10月、数年ぶりにラオスのビエンチャンに。

便利なホテルBest Western Vientiane Hotel
左隣にタイのフジレストラン、右隣の旅行代理店では自転車のレンタルも。
近くに日本人経営のレストラン(大阪)も。日本語フリーペーパーTaste of Laos も置いてあった。
フランス人がたむろする喫茶店も多数。タイのTRUE Cafeも。
Wifiも無料で、空港送迎込み。夜8時チェックアウトも追加料金無し。
Five Star Hotel のようなセコイ事は言わない!

インターネットの速度も意外と?ネットTV設置可能。
(カンボジアでも実績あり!)

happylaos.com(ハッピースマイルツアー) laoplazahotel.com europcarlaos.com

カンボジアと同じく、ラオスでも韓国人の投資が多い!

ラオスの歌姫 AlexandraAlexandra Bounxouie、ラオスとブルガリアの混血
Sao Lao Bao Tha

http://punch.namjai.cc/e8172.html

 (2000年10月)

1.  ラオス のVientianeには1990年12月初めて入り,翌1991年4月に丸紅の出張所を開設した。
現在の所長は4代目で,今でもNational Staff は全員残っている。

2. 当時既に,Vietnamの影響下,開放政策が始まっており,メコン河の対岸 タイ国ノンカイ市にも
渡し船で渡れるようになっていたので 買出しによく利用した。 現在は橋が出来ているが,橋を渡るのはバスに乗り換える必要があり,特に便利になった訳でもない。 タイよりの観光客は増えている。 
この橋は国境となるので,日本政府は無償援助給与が出来ずオーストラリアにとられたいきさつを
当時聞いたので,ラオス内を流れている南部のパクセにメコンに架ける橋のProjectを仕込みー昨年この橋が完工した。

3. ラオスは東南アジアで 一番 フランスパンが旨く,又,東南アジアの華僑の内でも有名なラーメン
(バーミーナム)の店もある。 オペラと言うイタリア料理店(バンコックにもある)も1993年に出来た。
外国人にとり生活環境はかなり改善されて来ており,9Hだがゴルフ場もある。 衛星放送の受信は
当時も可能だった。 地方の農村に行くと高床式の家の中央にTVが置いてあり,タイのTV放送を見ている人が多かった。 トイレはなく全て外で用をたすが,これは開放感があって良い。

4. 日本政府無償援助Projectの関係で 陸路ベトナム国境近くまで行ったことがあるが,今も米国の北爆の際の穴が多くあいていて 爆弾の破片は垣根や小船に利用されていた。 北爆はホーチミン
ルート寸断が目的だったので爆弾はラオスに落とされた投下量の方がベトナムより多かった由。 
タイのウドンタニが米軍の基地になっていて当時の軍用道路はノンカイまで伸びている。

5. ラオス文化を一言でいうとボーペンヤン(タイ語のマイペンラク;Never Mind)で、命の洗濯が出来る。 ラオス料理は野菜及び川魚が中心故 高血圧やコレステロールの問題も解決出来た日本人駐在員がいた。

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タイ投資委員会(BOI) によると、タイ資本の外国への投資は累計で、中国29億6800万ドル(06年末)、 ラオス24億700万ドル(05年末)、 ベトナム14億6900万ドル(06年6月末)、 ミャンマー13億4600万ドル(06年末)、 カンボジア1億3500万ドル(04年末)、 インド7800万ドル(06年末)だった。 ラオスへの投資は同国の外国直接投資(累計)の国別1位。   2007/4/ 1


M君(小龍包)よりのメール: 1st January, 2003

翌日は、爽やかな風の音で目が覚めた。ここビエンチャンでは、湿度もそれほど高くはなく、ちょうど良い小春日和と言ったところだ。 気候が良いと、なんだか気分までノッて来てついでに腹もへってくるものだ。 なんとも人間は現金に出来ている。昨日佐藤さん(仮名)に教えて頂いたお勧めのパン屋をぶらぶらと探しに行く。 そのパン屋はコンコース沿いにすぐに見つけることが出来た。

張り出したテラスには白人パッカー達が数人談笑しているのが見えた。 大して広くもない店内には、入りきれないほどの人でごった返していて、この店の人気の高さが窺がえる。 私は、店員のお姉さんお勧めの、スペシャルサンドを注文してみる事にした。 スペシャルサンド:15000kip  写真では、結構小さめで多少みすぼらしく写っていたのだが、実物は、結構大きく通常サイズのフランスパンの半分位はあり、レタスや、トマトなどが挟み込んである。ボリューム感は、十分でとても一度に食べられそうはない。 ラップに包まれたそれを持って行き、コンコースのベンチで一息つく事にした。 期待して、がぶがぶと齧ってみると、果たしてパンの香りと旨味が、口腔一杯に広がって行くのをすぐに感じた。

なんでもラオスでは、フランス統治時代からフランスから持って来たイースト菌が受け継がれていて、代々受け継がれているらしい。ひょっとしたらラオスは、このパンの為だけに来る価値がある国なのかもしれない。 それに、頬を撫でる風のなんと心地よい事か。ここでなら、永久にボケーッとしていられる自信がある!!! そんな意味のない自信が沸々と沸き上がってくるのを感じながら、しばし、幸福で贅沢な時間を過ごすのであった。 本当は、人間はほんの少しの出来事で幸せになれるのかもしれない。 新年のカウントダウンには、まだ時間がたっぷりある。それにしても、何もない首都である。

見所も特筆すべき歴史遺産などもあまりない。 数少ない見所の一つといってよいパリの凱旋門を真似たアヌサワリーという門に行って見る事にした。 この門は、1960年に建立された戦没者の為の慰霊塔であり、内壁にはそこそこ優美といえる装飾が掘り込まれている。 入場料を支払い、黴臭い空気の中、石段を一段一段上っていく。途中の内壁で囲まれた広場には、香具師が数件程、軒を連ねており、その土地の特産品等を並べている。頂上までは、日本のマンションの7,8階位の高さはあろうか、結構疲れる。前を行くラオス人のおばちゃんも肩で息をしながら登っている。だが、その甲斐はあって、ここからのランドビューは結構素晴らしく、周囲にもこれ以上の高さの建物はないため、ビエンチャンの街並みを一望できる。ビエンチャンが、まだ緑に多く囲まれた都市であることを実感できる。

周囲に張り巡らされた道は四方に伸びており、大規模な路肩拡張工事を行っている様子が見え、ラオスもいよいよ観光に力を入れ始めたという意気込みを感じた。 アヌサワリー入場料:1000KIP

さて、一応観光もした事だし本日は追加の両替をしなければならない。さすがに大晦日は、銀行も閉まっていて、手っ取り早く現金を手に入れるには、ATMかホテル等を利用するしかない。 手持ちのバーツの予備がまだあったので、今回は手っ取り早くホテルにて両替を行った。 ちなみにATMも2台ほど見かけたが、VISA、シティバンク等使えるかどうかは試していない。だが、その辺りの不自由さも少しずつ整備されて来ているようだ。 それにしても、数万円をキップに替えただけなのに、なんと分厚い札束になって帰ってくることか。嬉しいような、面倒くさいような。やっぱり少し嬉しい・・・・・。 それにキップとはいえ、一応札束である。なんたって束にすると本気で立つのである。しかも、縦にも立つ! 庶民の夢!それは、札ビラを、ベッドの上に十分に敷き詰め、両手一杯にそれらを抱きかかえた後、一気に上空に投げ上げ、恍惚としながら、札束がヒラヒラ舞い降りるそのヒラヒラ感を楽しむ事だ。 「ひひひひひ・・・。札束じゃあ!札束じゃあああぁ うふふふふ!!!」 ・・・と言いながら。声を大にして言いたい! これぞ、まさしく、『庶民の夢・・・』である!!!「でも、やっぱりそれをキップでやるのは、虚しい・・・・・。」そう気付くのに5分かかった。しかも集めなおすの大変やし。 そうこうしている内にも、日は暮れはじめ、近くからバンドのリハーサルの音や、太鼓の囃子などが聞こえ始めてきて近くまで見物に行きたかったのだが、明日の出発の用意等もあったので、高鳴る気持ちを抑え、一旦出直す事にした。 あらためて、カウントダウンの少し前に出直してみると現場はまるで、地方の盆踊り大会を、連想させるちゃちい作りであった。電球が四方にぶら下げられ、 突貫工事で作られた舞台では、シンガーがラオス民謡や演歌等を演奏している。 それらの舞台があちこちのホテルの中庭等で所々設営されていて、あちこちから爆音に近い演奏が送出されているのだ。

ツーリストである私たちには、それほど面白い催しとは思えないのだが、土地に暮らす人々を観察してみると、まんざらでもないようで嬉々としてそれらの催しの輪に参加している。彼らにしてみれば、年に一度の賑やかな年始なのかも知れない。 バンド演奏は、それほど楽しくないが、彼らの新年を祝う、その嬉しそうな顔を見ているとこちらまで楽しい気分になって来るから不思議だ。 やがて、新年のカウントダウンが始まり、年の終わりと始まりが、のんびりした雰囲気の中、多少の喧騒感を伴って、ゆっくりと交わって行き、確り引き継がれて行くのを感じた。 「たまにはこんな新年の迎え方もいい。」 ホテルへの帰り道でなんとなくそう思えた。

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今回より、何回かに分けて、2003年を跨いで旅したラオスについて、久々に旅行記を書いてみようと思う。まあラオスもタイ周辺国ですので、 バンコクアウト朗烈伝 に載せてもいいよな・・・。 ; 2002年度12月29日。少し焦りながら今日の夜行に乗り込むためファランポーン駅へと向かっていた。夕方に行われた飲み会が長引き、最終列車もギリギリの状態だ。 バスの車窓から見るバンコクの町並みは、鮮やかなイルミネーションに包まれて豪華な雰囲気を演出している。タイの人達はやっぱりお祭り好きで、電飾好きなのである。なんでも12月31日大晦日に、大規模なカウントダウンを行うらしくタクシン首相も出席するらしい。そんな街中の慌しい風景をみながら、バスは、出発時刻の15分前に到着した。構内では、当然ながら既に帰郷する人々でごった返している。 一体普段の何倍の人がいるのであろうか。 兎に角、体感密度がひどい。 それに、これだけの人の多さで、果たしてチケットは取れるのだろうか・・・? さすがにやる気のない旅行者を自称する私でさえ不安になってくる。 実を言うとラオスビザも不安だ。

ノンカイ⇔ビエンチャンルートで当日ビザ取得ができる事は知っているのだが、この年末年始にラオス大使館は開いていてくれるだろうか。 う〜ん、不安は尽きないが仕方がない。まあ、なんとかなるでしょってなもんで、とにかくチケットを手に入れられなければ、悩む意味すらないのだ。 何十にもとぐろを捲く長蛇の列の最後尾でイライラしながら順番を待つ。それにしても最近のバンコクは、順番をちゃんと守るようになった。まあ一般日本人の意識では当然なのだが、少しずつ公共道徳意識というものが定着しつつあるように実感する。

バンコク(ファランポーン)→ノンカイ:168バーツ(3等) ついに発射時刻を過ぎてしまったが、長蛇の列は、なかなか縮まらない。ここで買えなければ、この駅で一泊して朝一の出発となってしまう。ダメもとで本日の最終便のスリーパーチケットの有無を確認する。思ったとおりバツ。でも3等ならなんとか出来るとの事。なにやら列車も遅れているらしい。どうやら、ギリギリ運は繋がっているらしい。

その後、列車は2H遅れで到着した。到着と同時に、待ちかねた人々が雪崩をうって車内に突撃する。こうなってはもう勢いは止まらない。 車内に居た人々も外に出ようと必死の攻防戦が、各ドアで繰り広げられる。その機動隊対ゲリラの戦いを横目で見ながら・・・・ って、こっちもはよ行かな、席ないやん! という訳でゲリラ側に身を投じ、何とか席をキープした。 したものの、車内はもう阿鼻叫喚って感じで2人掛けの椅子に3人座りが当たり前状態になっている。席にあぶれた人たちは、新聞紙を下に敷き詰め、自分の確保している。 そうこうしているうちにも、列車は走り出し。 北へ北へと向かうのであった。何度かうつらうつらしながらも、寒風に目が覚める。タイの人たちは、どんなに突風が車内を荒らそうとお構い無しで窓は全開だ。 その分怠りなく厚着などして風邪をひかぬよう衣を重ねる。

「寒かったら窓、しめたらええやん・・・。」と、いつも思うのだが、こちらも学習せず、Tシャツいっちょで毎回寒さに打ち震えているので、まあどっちもどっちか。 列車は14H後に予定通り(予想通り)数時間遅れて午前9時前にノンカーイに到着した。 構内はとても質素で田舎の駅の様相を呈している。

近くでは、既にトゥクトゥクの兄ちゃん達が数名待ち構えていて客引きをしている。その中の1人にボーダーへ言ってもらうようお願いした。 タイ側で出国手続きを済まし、友好橋を渡る。 メコン川が滔滔と流れているが、ゆっくりと感傷に浸って眺めている暇などはない。 ノンカイ→ボーダー:50バーツ■国境越えバス(これに乗らにゃラオスに行けない):10バーツ ;

ラオス側ボーダーでは既に20名程がVISAを取得する為に手続きを行っている。 欧米系のパッカーが3分の1、タイ人が3分の1、その他を日本人、中国人を含む他の人種が占めているという感じ。
手続きも緩慢としていてなかなか進まないが、ノンビリとした日差しに包まれて、なんとかラオス入国を果たせそうな安堵感から、許せてしまう。 ついでに5000バーツ分のバーツ通貨を現地通貨キップにエクスチェンジする。今のラオスはインフラが激しく現地物価は、軒並み値を吊り上げているので参考程度に留めて欲しい。 当日VISA取得:30$、又は1500バーツレート:1バーツ→193キップ5000バーツチェンジ→965000キップ

ボーダーを出れば、そこはソンテウ(乗り合いタクシー)乗り場になっていて交渉が必要だ。 首都であるビエンチャンまでは、結構離れていて30分程度ソウテウに乗る事になる。 ボーダー→ビエンチャン:50バーツ

走り始めて、やっと一息つくことが出来た。シートから眺められる景色は、タイの田舎町とさほど変わりがないのだが、こちらでは、右側通行であり、多少の違和感を覚える。 このソンテウで一緒になった。佐藤さん(仮名)としばし、旅の情報を交換しあう。 当初、ルアンパバーン以北の北ルートを考えていたのだが、どうやら正月のルアンパバーンでは、ホテルを取るのは難しそうだとの事。

「がーん! そんな事急に言われてもなー・・・。」と考えていても仕方がない。 早急にルートについて再考する必要がある。思い立ったが吉日、ルートを北から南へと思いっきり変更した。 なんとも安易ではあるが、特に観光名所のない南では、観光客ずれしていない素顔のラオスに出会えると思ったのだ。

ビエンチャンの街自体は、聞いていた通り、首都とは思えない位閑散としていて、交通量もまばらだ。交通のほとんどがモトサイとソンテウで構成されている感じ。 カオサンのような旅行者通りも現在構築中で、噴水から放射上に、まばらにゲストハウスなどが点在しているのみだ。だが、決して殺風景という訳ではなく、ノンビリとした雰囲気の中で、静かに活気が感じられる。 特に所々で迎えてくれる、人々の笑顔には、心から癒される。 佐藤さんいわく、今年は日本人が思ったより多く来ているらしい。

ラオスについて旅行会社が広告を打っているとは聞かないので、どうやら、人づてで噂を聞いて来ていると推測できるとの事。特に若い女性が多いのは、それなりの理由があって、美味しい料理(ラオ料理は日本人の口に合う)や少数民族の作る可愛い雑貨、そして仕事に疲れまくった彼女たちは、ラオ人の優しさに癒されにくるのではないだろうか。 

経済発展を遂げた今のバンコクは微笑みをなくした国になりつつあるが、北の大地には、まだ微笑みの国が存在するのだ。観光名所の少ないラオスに来る旅行者たちは、この笑顔に出会いに来るのだろう。たとえ旅行者が今以上、増えたとしてもこの微笑をなくさないで欲しいものだ。 ビエンチャンのホテルについては、数件程回ってみたが、特に問題はないように感じた。

10$前後の価格設定が多いが4〜6$の安宿も、思ったよりは清潔な環境で経営されている。
ASAIA GEST HOUSE> この時期のラオスの気候は穏やかだ。 時折吹いてくる風は、懐かしい匂いを運んでくる。 今日は、サバナケット行きのバスに乗らなければならない。 元旦早々急ぐ必要もないとは思うのだが・・・。 

バス・ターミナルは、タラート・サオ隣のバスターミナルから、7:30AMと10:00AMにサバナケット行きのバスは出る。だがルアン・パバーン行きのバスは、ここから2KM離れたターミナルから出るので注意が必要だ。 元旦なのに、本当にバスは来るのかしらと思いながら、バスを待つ。

7:30、10:00AM 20000KIP 南行きの路は、悪路が多く未舗装路が多いと聞いていたのだが、整備された舗装路が続いていて、思ったよりはずっと快適な旅となった。 果てしなき熱帯雨林の中の一本道を、時にはメコン川と併走しながら、バスは唸りを上げて突っ走る。車内は、帰省するおばさんや、おじさん、子供たちでごったがえしており、もう訳の分らない惣菜の匂いで充満している。 

バイクを無理くり車内に乗せているので、座席の横にバイクを括り付けられたおじさんは、休憩の度に車外に出るのにかなり苦労している。ぶつぶつ文句を言っているが、全く取り合ってもらえない。 まあこんな事もラオスでは、日常茶飯なのだろう。バスは、小一時間ほど遅れて無事サバナケットに到着した。 街の中心は、バスストップから3Kmほど離れた南側にあり、そこにはゲストハウスも数件ほど点在している。サバナでは、ファランもあまり見かけない。 私の泊まるゲストハウスから、通りを3本も越えれば、もうメコン川に突き当たる。 川沿いには、香具師が数件軒を連ねていてラオ人の家族連れも多数、興味深げに屋台のチープな品物を覗き込んでいる。

私たちには取るに足らない品であっても、やはりラオ人には貴重な生活物資であるのだろう。 唯一の、子供が遊べる屋台は、障子のような木のますに風船が並べられており、これをダーツの矢のようなもので破裂させるというゲームだ。 最初は、この風船が何を意味するのか、よく分らなかったが、客が来て初めてその意味を理解した。 ゲストハウスへの帰りの道すがら、何組かの家族が月明かりに濡れながら涼しげな縁側で、それぞれの正月を過ごしているのが見えた。 

電気もろくに灯けておらず、唯一TVの灯りのみが漏れている。めいめいがゆっくりとした時の流れを楽しんでいるかのようだ。 お父さんは、Tシャツ一枚で横になりTVを見ていて、そのお父さんを団扇で扇ぎながら子供たちと何か話しているお母さん。 2人の子供たちは、縁側の周りをグルグルとはしゃぎ回って元気な事この上ない。月明かりに照らされ瞬間垣間見たこのワンシーンは、一瞬、立ち止まってしまいそうな程に幸福なものに思えた。 

派手なカウントダウンもバンド演奏もなく、この街のラオの人々はひっそりと昔のやり方で新しい年を祝っていた。

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