twitter.com/ |
カンボジア
プノンペン |
インターネットの速度も速くなり、カンボジアでもネットTV設置可能に。
(某日本大手建設会社もプノンペンで利用中!)
Mekong
Fund;所謂、メコンファンドはほとんどがベトナム中心だが、これからは、カンボジアとミャンマー!
といっても、十数パーセントの利回りでは夢がなさ過ぎる。カンボジアの土地は数年で10倍以上に?
ミャンマーの不動産は、2012年、すでに100倍の値上がり!
プノンペン市内中心部の土地や、ビルの購入はお勧めしません。狙い目は郊外です。
中心部から車で10-20分のところが今でも信じられないほど格安:Phnom-Baset
プノンペンで日本人医師、歯科医も開業可。会社設立不要。
実際に開業した日本人医師の紹介も可能。弊社の人脈を利用。
カンボジアは日本の医師免許で開業可能。日本の医薬品の輸入も簡単。
定年後の居住も安上がりで安全。ビザの問題もなく、ロングステイに最適。農地も安く、晴耕雨読の生活も。
スーパーマーケットの品揃えも豊富で、バンコクより安い。特にワインが格安。
フランス人、イタリア人経営のレストランも。
http://cambodianna.blogspot.com/
---不動産投資、病院開業等の投資話を持ちかけている自称コンサルタントが、
日本大使館のブラックリストにも載っているらしい?ご注意!!
自分で現地を調査すべき!!
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カンボジア、高まる不動産ニーズ スターツ現地法人、日本型サービス展開
(May,2012)
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/120516/mcb1205160501012-n1.htm
日本人歯科医がカンボジア プノンペンで開業 2012
シゲタ歯科医院 歯科医師 西原繁太
北原脳神経外科病院:総合病院、アジア初「輸出」 カンボジアで上場目指す(毎日.jp)
イオンがプノンペンにショッピングモール 2012年にも
http://www.facebook.com/SankeiBiz
詐欺にはご注意:
カンボジア事業に投資とうたい、十数億円を集める 東京・千代田区の会社を家宅捜索
フジテレビ系(FNN) 2011年12月27日(火)
日本でもようやくカンボジア投資が話題になっている。韓国、香港、台湾、東南アジア華僑に遅れること十数年!
それに伴い、日本人投資家に対する、日本人等による、詐欺、ぼったくりが多くなってきているのでご注意。
一番安上がりの会社設立方法は下記へ:
AVIA Travel, No.188Eo, Monivong Blvd, PhnomPrnh, Cambodia
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Sofitel
Phnom Penh Phokeethra Hotel
26, Old August Site Sothearos Boulevard
NagaWorld Hotel & Entertainment Complex
某氏の2009年11月23日プノンペン出張報告より抜粋 (2010年2月、一部加筆修正): プノンペンも車が更に増え、5時過ぎには渋滞がひどくなっている。 プノンペン市内の湖水も、埋立て、開発が更に進んでいる(BoeungKak
Lake, Trabek Lake, 北部の大きな湖も)。 銘木の家具は、Battambang(バッタンボーン)も安いが、Pursat(ポーサット,プルサット)がもっと安価。 Mekong
Fund;所謂、メコンファンドはほとんどがベトナム中心だが、これからは、カンボジアとミャンマー! |
サンケイBIZ(2010.11.10): http://www.sankeibiz.jp/macro/news/101110/mcb1011100500000-n1.htm カンボジア投資に先行者利益 ファンド担当者「未成熟経済が魅力」 . カンボジア経済の勢いが止まらない。同国内で活動を展開している投資ファンドの「レオパード・キャピタル」は、2010年の国内総生産(GDP)成長率が当初予測の4〜5%を上回るとの見方を示した。10年上期の実績がきわめて好調だからだ。同社のリポートによると、前年同期比で、貿易16%増、観光客数12%増、縫製業10%増、銀行預金31%増、銀行貸し付け14%増、マイクロファイナンス(小規模)貸し付け25%増、外貨準備高18%増(29億ドル)など、2けた増の数字がずらり並ぶ。 ◆外資企業数42%増 外国直接投資も拡大している。上期に新規登録された外資企業数は同42%増。なかでも目立つのは、中国、ベトナム、韓国で、各国の動向を見ると活発な投資活動は今後も続く見込みという。レオパード・キャピタルでカンボジアのプロジェクトを指揮するマネージング・パートナーのダグラス・クレイトン氏(50)は「カンボジア経済は未成熟だからこそ、急速な成長を遂げる。それが開拓市場の魅力だ」と語る。 レオパード・キャピタルは、欧米人を中心に107人の出資を受け、08年に3400万ドル(約27億5300万円)規模でカンボジアに特化した投資を開始した。これまでに、通信、金融、エネルギー(送電)、食品、不動産の計6企業に投資をしている。 通信分野で携帯電話の「カムGSM」、金融分野では「アクレダ銀行」など同国最大手の企業をはじめ、食品分野では高級志向の新ブランド「キングダム・ブリューワリー」(プノンペン)、最新鋭設備を備え日本への製品輸出もしているエビ加工工場「ノウティスコ・シーフード加工工場」(シアヌークビル)など新興企業にも積極的な投資をしている。 ◆オープンな市場 クレイトン氏は「すでに多くの投資家が注目している中国やインドなどと違い、カンボジアやラオス、スリランカなど、紛争が終結した後の未成熟な市場には、まだ本格的な投資競争が始まっていない。しかし、こうした市場はゼロからスタートするので成長が速い。しかも、国民の平均年齢が若く、長期間の成長が見込める」と指摘する。 さらにカンボジアは100%外資の企業進出も認めている。同氏は「アジアの中で最もオープンな市場」と評価し、今後は水力発電や鉱工業分野への注目が高まるとみる。 一方で、カンボジアのような開拓市場は、経済規模が小さいことや、法整備が遅れていることなどの問題もある。同氏は、交通・通信・電力コストが割高であることも課題にあげる。ただ、「急成長市場の魅力はこれらの欠点を補って余りあるもので、多くの人が注目し始めたら、もう遅い。その前に投資を始めなくてはならない」とくぎを刺す。 米ニューヨーク出身のクレイトン氏は、1980年代から韓国や中国などアジアでビジネス経験を積んできた。「韓国や中国の成長ぶりを見るにつけ、カンボジアやラオスが、二十数年後にそうならないという理由がない」と言う。 レオパード・キャピタルは11年1〜3月に、カンボジアとラオスで5000万ドルの新しい投資を実施する計画だ。プノンペン・ポストなどによると、今回は、農業、食品加工、軽工業、金融サービス、再生エネルギーの分野に投資する見込みだ。また、新ファンド資金の30%はラオスへ投資されるという。(情報誌「ニョニュム」編集長 木村文) 【会社概要】レオパード・キャピタル 2007年の創業で、ケイマン諸島にグループ本部を置く。従業員数は常勤・非常勤あわせて50人、現在の資金規模は3400万ドル、投資先はカンボジアに6件。 ◇ 【プロフィル】ダグラス・クレイトン 米ニューヨーク州出身。コーネル大学卒。タイ国立チュラロンコン大学のサシン経営大学院で経営学修士号取得。これまで25年にわたり、韓国をはじめアジア各地で投資事業に携わってきた。1960年9月生まれの50歳。 |
2009年12月21日、中国の習近平副主席、カンボジア首相と会談 日本の民間も頑張らねば。
日本政府のODAでカンボジアの港湾、道路、橋梁、発電所、水道等インフラを整備。その結果、中国、韓国、香港、台湾、華僑がぼろ儲けしている!
日僑 といわれている日本人某氏は例外? Cambodia,MyanmarのFundは如何?
カンボジアで農業も、EMで:自然農法国際研究開発センター
カンボジアでは、自由クメール協会と協力し、EMを利用した自然農法普及活動を継続。環境省大臣も支援。
EM-X 予防医学研究所 JVC-Cambodia 名古屋大学-RUA KurataPeppe カンボジアClip 海抜チェックは
http://www.marubeni.co.jp/news/2010/101117.html 2010年11月17日 丸紅株式会社(以下、丸紅)は、カンボジア王国最大級の集荷・精米企業であるAngkor Kasekam
Roongroeung Group社(以下、AKR社)と、カンボジア米の輸出拡大ならびに同国における米事業全般に関する投資及び栽培・集荷事業での提携意向書を締結し、AKR社が有する集荷・精米関連事業において戦略的提携関係を構築することで合意致しました。
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某氏の2009年7月6-8日プノンペン出張報告より抜粋: 日系某銀行は金利15%/年(US$)だが、市内の土地しか担保に取らない。 カンボジア政府系の ACLEDA
Bank Plc は金利は若干高めだが、 不動産屋は下記がお勧め。すぐ査定もしてくれる: −ーーーー CARE(CambodiaAngkorRealEstate) KhmerRealestate Krorma(フリーペーパー) −ーーーー 2008年の金融危機で、特に韓国経済が影響を受け、その為、韓国人のカンボジアに対する投資が大幅に落ち込んだのが、 ANZ
Royal Bankは円建て口座も開設可能だが手数料が高すぎる(USドル建は問題なし)。 Naga
World Hote Casino: PhnomPenh市内にスタバ(starbucks)も開店。 Grand
Phnom Penh International City
のゴルフ場は、砂をかぶせ、芝を張る工事が始まっている。 CamkoCity(カムコシティ)も工事は進んでいる。韓国の銀行(CamkoBank)が投資?事務所はマルハン銀行の隣にも。 cambodiawatch.net カンボジア日本人商工会 カンボジア日本人会 日本大使館 外務省 khmerbird.com cisinc.co.jp(ニョニュム;NyoNyum)-Cambodia Information Service Inc. |
khmerbird.com cambodia-adviser カンボジアウォッチ(CambodiaWatch.net) locomo.com メコンウォッチ
カンボジア総合研究所(http://twitter.com/#!/cambodiasoken)
日本アセアンセンター(ASEAN-Japan Centre) KhmerRealestate
MekongWatch CCC(カンボジアチルドレンケア) カンボジア医療教育基金 ランドバンキング
こんなブログも:
http://blog.livedoor.jp/max_squash/
http://money.jp.msn.com/investor/funds/columns/columnarticle.aspx?ac=fp2010011301&cc=03&nt=03
カンボジア投資ツアーも:http://blog.livedoor.jp/max_squash/
nedo.go.jp(太陽光発電) Photovoltaic generation, Solar Energy khmersolar.com
MekongCapital twitter.com/khmerbird twitter.com/OhaKambojia
ブログ村/カンボジア: カンボジア経済 プノンペン経済特区(PPSEZ)
twitter.com/HenryKawahara twitter.com/flussich twitter.com/Kambodscha
香港、台湾、シンガポール、中国、韓国、インドネシア華僑等の投資が目立っている。 投資では影が薄い日本ですが、カンボジアの不動産投資で大成功している個人の某日本人が、 バンコクで十年前、数十年前に起こったことが、カンボジアでも起こりつつあります。 カンボジア、特にプノンペンとシェムリエップ地区の土地の値上がり傾向は、 カンボジアでの土地、不動産購入の為の会社設立手続きも簡単です。
基本的にはタイとほとんど同じです。 香港の投資銀行/財閥やインドネシア華僑等による大規模な宅地開発、高層ビル、ゴルフ場等の為の不動産投資、 古くから(1991年から)の人脈もあるので、首相府、カンボジア開発評議会(CDC)、関係省庁トップとの面談も手配可能。 長期滞在の為のマルチエントリービザも間単に取れます。
- 2008年5月 - |
Grand
Phnom Penh International City
分譲価格:約@US$1,000/u ; 別荘として購入を検討中
カンボジアに初の30階ビル 復興と平和の象徴に 2009.11.16
Grand Phnom Penh International City
インドネシア企業 首都プノンペンにサテライト・シティー建設
(2007年1月22日付 The Cambodia Dairy-National)
インドネシアの建設企業がカンボジアの首都プノンペンの一角60ヘクタールの土地に今年、カンボジアの合弁企業と共に、サテライト・シティーを建設し始めた。 この都市計画は、インドネシアのYLP Ciputra Groupの音頭により、カンボジア企業と共同作業にて建設予定のGrand Phnom Penh International Cityをその目標にしている。 YLP Ciputra Groupの上層部役員によると、このサテライト都市建設費用に$500millionが投入され、住宅、病院施設、大学校舎、ゴルフコース、ビジネスセンター、大型ショッピングセンター等の店舗が想定されている。この建設作業の始めであるこの地域での水道・光熱設備工事は既に始まっており、建物自体の建設は今年の後半になる予定。 ちなみに、Grand Phnom Penh International City建設計画にCDC(The Council for the Development of Cambodia)は、既に一昨年の2005年に承認を出している。 また、CDCの投資局Evaluation & Incentive課課長は、このインドネシアのYLP Ciputra Groupが2001年に着工を始め、2010年完成を目指しているベトナムの首都ハノイの事例を引き合いに出し、カンボジアにおいても彼ら(インドネシアの建設業社YLP Ciputra Group)は成功に導くであろうと確信している。 (追記): キーパーソン:市長、駐タイ大使等を歴任された、旧知のチアソファラ氏は、土地開発担当の大臣に。 |
カンボジア、空前の不動産ブーム 2008年6月11日 日経ビジネスオンライン
プノンペンポスト Blog Archive 韓国(朝鮮日報)発のカンボジア不動産情報 韓国(中央日報)発カンボジア情報 香港発のカンボジア経済情報
不動産投資の狙い目は、プノンペン北部、中心部から車で20分、
GrandPhnomPenhの先
(No.51の東側、No.130沿い; Phnom-Basset)。
電気もあり、Rd.No.130の東、トンレサップ河に架かる橋も建設中で、益々便利に。
相場はマダマダ安く、プノンペン旧市街の土地相場価格の5−10%。値上がり間違いなし。
ーーーーーーーーー
http://www.howtocambodia.com/magazine-07/contribute.htm http://www.asean.or.jp/invest/guide/cambodia/data/index.html
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080815/trd0808150334000-n1.htm
http://www3.jetro.go.jp/ttppoas/anken/0001101000/1101051_j.html
http://www3.jetro.go.jp/ttpp/JAN.CR06_JAN?id=1102448&corner_id=999
http://www.krorma.com/care/careservice.html
http://jp.ibtimes.com/article/biznews/090131/28261.html (不動産消費者保護に関する政令)
http://www3.jetro.go.jp/ttppoas/anken/0001102000/1102448_j.html
ADSL in Cambodia: Camnet.com.kh Citylink.com.kh
http://blog.goo.ne.jp/economistphnompenh(カンボジア経済ブログ) カンボジアの経済情勢(2005) 地球の歩き方 カンボジア外務省
ciesf.org(シーセフ) ngo-jvc.net cambodia.npo-jp.net
岩井証券(メコンのめぐみ;ベトナム・カンボジア・ラオス3国成長株ファンド) living-in-peace.org
マイクロファイナンス貧困削減投資ファンド;カンボジアのマイクロファイナンス機関サミック(旧称CHC):カンボジアONE & カンボジア2
2009年7月22日(水) (ジェトロ・バンコクセンター 経済動向分析部 川田
敦相)
─────────────────────────────────── 中国の支援でプノンペン郊外に橋梁と国道建設中、 ベトナム国境への新たなルートとして注目 ─────────────────────────────────── 中国政府の支援で、カンボジア国内のメコン川を跨ぐ二番目の橋梁となる「プレックタメック(Prek Tamak)メコン川大橋」及び、同橋梁から延伸する国道8号線の建設が急ピッチで進んでいる。2010年完成予定で、プノンペンとベトナムを結ぶ新たなルートとして注目される。7月上旬に、同橋梁及び国道8号線の建設現場を視察した。 (急ピッチで進む橋梁建設) (建設中の国道8号線を既に利用) 国道8号線が完成する暁には、カンボジアとベトナムとの国境ゲートのあるトラぺアンプロン(ベトナム側サマット)とが最短で結ばれることになる(国境ゲートへは、国道8号線から一旦、国道7号線に合流してトラぺアンプロンへ向かうものと見られる)。 在カンボジア日系企業A社関係者は、「プノンペン市内からベトナム国境のトラぺアンプロンへは現在国道6号線と7号線を利用しているが、国道8号線が完成すると、国道6号線と8号線経由となり、途中まで7号線を利用しなくなる。7号線上に日本政府の援助で建設した“きずな橋”を利用せず、6号線と8号線を結ぶ中国が建設中の橋を利用することになろう。」と述べている。 一方、在プノンペン日系企業B社関係者は、「現在、シハヌークビル港を利用しており、国道8号線が整備されたとしても、ベトナム南部の港湾を利用せず、シハヌークビル港を引き続き利用する見込み」と述べている。 また、「カンボジア国内を貫通する鉄道(シンガポール昆明間鉄道リンクの一区間)路線建設計画があるが、同路線計画と国道8号線のルートが並行している。中国政府は、将来的な鉄道建設を見据え、国道建設面での協力を行っているのではないか」(在ベトナム・コンサル会社C社関係者)と見る向きもある。 |
プノンペン新都心の将来性:カムコーシティの魅力的な分譲価格:上田義郎セミナー、2009年3月7日 事実、このブログ(2008年2月26日)で紹介したGOLD TOWER 42という42階建ての高層アパートは韓国企業の開発であるが、その建設は中断しているように思われた。 昨年2月の訪問時には、カンボジア証券取引所が開設される場所が、当初はカンボジアで最大の資産量を誇るカナディア銀行の新本社ビルと言われていたが、それがカムコーシティに変更されたという噂があった。 ベッドルーム数 専有面積(u) 価格(米ドル) |
カンボジア、ラオスに開発の波 連携強めるインドシナ半島諸国 2008/03/12 iza.ne.jp インドシナ半島を貫いて南シナ海に流れ込むメコン川。そこに次々と橋が架かり、中国を含めた半島諸国の経済的な連携が深まりつつある。東南アジアの中でも発展が遅れてきたカンボジアとラオスにも開発の目が向けられ、流入する消費物資が人々の生活を変えている。冷戦時代にイデオロギーで対立した時代は色あせ、国と国の関係は実益志向になってきた。(坂本英彰) |
パチンコのマルハン、SBIが口火! カンボジアで相次ぐ日本企業の銀行設立:週刊ダイヤモンド編集部 今夏以降、カンボジアで銀行を設立する動きが出てきた。 パチンコホール経営の最大手であるマルハンは5月22日、85%の出資で「マルハンジャパン銀行(資本金2500万ドル)」を首都プノンペンに設立。「同国で18番目の商業銀行で、日本企業からの出資を受けた銀行としては初めて」(マルハン)という。 国内のパチンコホール経営会社は、大手のダイエーをはじめ多くが経営破綻。一方で、パチンコの出玉を換金することが法律的にグレーゾーンゆえ、大手といえども株式上場ができないなど、経営環境は厳しい。こうした中、同社ではマカオでカジノを含むテーマパーク開発を進める企業の関連会社に出資するなど、新規分野への参入を模索してきた。 パチンコホールと銀行に共通点はなさそうに見えるが、同社では「(パチンコホール経営で)永年培ってきた『徹底した顧客サービス』を銀行業界に持ち込むことで差別化を図る」という。 開業当日に行なわれたセレモニーでは、同国の経済財政大臣、中央銀行総裁、駐カンボジア日本国特命全権大使といったVIPが参列し、同行への期待の高さを示した。 今後は「個人向けローンやリース、保険販売などに加え、中小企業向けの小口融資を行なっていく予定」(マルハン)という。 さらに9月1日にはSBIホールディングスが40%の出資を行ない、韓国の現代スイスグループと共同出資で「プノンペン商業銀行(資本金1500万ドル)」を設立した。 当初は預金運用業務から始め、その後に不動産関連のプロジェクトファイナンス、融資を行なう予定という。 カンボジアが注目されつつある理由の一つは、昨年6月に締結された日・カンボジア投資協定である。規制や税制などの投資環境面において、両国が、自国企業と同等にあつかうことが定められた。例えば、日本企業がカンボジアに進出した際、原料の現地調達や技術移転などの義務はなく、日本への送金も規制されない。 同国では来年下期にも証券取引所が開設される予定であり、SBIホールディングスでは「株式公開を狙う企業へのコンサルティングも検討している」という。 カンボジアは2004年に世界貿易機関(WTO)に加盟以降、年率10%前後の経済成長を続けており、近年では中国、韓国からの投資が過熱している。さらに長年続いた内戦の影響で、石油やボーキサイトなどの鉱物資源が手つかずのままであり、今後の資源開発にも注目が集まっている。こうした中、金融業に限らず、カンボジアへの関心が高まる可能性もありそうだ。 (『週刊ダイヤモンド』編集部 松本裕樹)【第188回】 2008年09月11日 |
南省概略 雲南省関連 雲南史/少数民族 雲南/その他 昆明市関連 カンボジア ラオス
マレーシア ベトナム ミャンマー アフリカ, 印度, イラン, 南ア
Joke01 Joke02 輪廻転生 占い 薀蓄 ひとりごと/2006 ひとりごと/China ひとりごと/Thailand
http://www.howtocambodia.com/1.pnh-guide/2.company-guide.htm
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=82124&servcode=400§code=400
http://www.interq.or.jp/tokyo/ystation/ang4.html
http://www.krorma.com/care/index.html
http://oshiete-asia.com/cambodia/detail_question.php?id=0000144
カンボジアの歴史 T.前アンコール時代 (2)真臘時代 (3)分裂と再統一 U.アンコール時代 V.後アンコール時代 W.第一次カンボジア王国の誕生 X.内戦の発生と和平までの道のり (2)民主カンプチア(ポル・ポト)時代 (3)カンプチア人民共和国(ヘン・サムリン)時代 (4)和平プロセス (5)和平協定から総選挙まで Y.第二次カンボジア王国の誕生とその後 (2)武力衝突と1998年総選挙、第二次王国政府の成立 (3)2002年地方選挙と2003年国政選挙 (4)第三次王国政府の成立とシハモニ新国王の即位 |
プノンペンの歴史 13世紀 ジャヤヴァルマン7世の時代、ワット・ウナロムの地に寺院が建立されている。
16世紀、四つの大河の出会う場所、すなわちチャット・ムック:4つの顔の名で知られたプノンペンは交易がさかんな町ではあったが湿地帯だった。スペイン人やオランダ人、あるいは華僑や日本人が貿易で多数往来していた。彼らはカンボジア王室の内紛に介入したりもしていたという。 1866年王宮建設、ウドンからプノンペンに遷都を行った。 1920年代、"アジアの真珠" として知られる。プノンペン国際空港建設。 1953年のカンボジア独立以来1960年代までは隣国の内戦をよそに表面的な平和を保ち、プノンペンは東洋のパリとしてその美しさと治安のよさを称えられていた。 1970年のロン・ノルによる軍事クーデターにより、アメリカがカンボジアに軍事介入し、共産勢力を攻撃するために農村部に爆撃を開始した。そのため農業ができなくなった農民たちが、アメリカからの空輸食料を求めて首都に集結せざるを得なくなり、1975年ロン・ノル政権末期にはプノンペンの人口は200万人を超えていたといわれている。 1975年4月17日、クメール・ルージュによりプノンペンは陥落した。最初は市民に歓迎ムードで迎えられたクメール・ルージュであるが、アメリカが爆撃に来るなどと市民を偽り、あるいは暴力をもって強制的に市民を各方面へと放逐した。この過程で抵抗して射殺されたり、自殺したり病人、老人や子供、妊婦など数万人が犠牲となったといわれている。 またこの時点でカンボジア人と結婚したりしてプノンペンに在留して、放逐された邦人が6名いたといわれているが生還したのは2名のみであり他はいまだに行方不明である。 以後1979年1月7日の、ヴェトナム軍と、ヘン・サムリン率いるカンプチア民族救国戦線とによるプノンペン陥落までの間、都市人口はわずかに5000人ほどであったといわれている。 またこの時代、シハヌーク元国王一族はシハモニ現国王ともどもプノンペンの王宮に幽閉されていた。しかし彼らはプノンペン陥落前にクメール・ルージュによって中国に脱出させられた |
カンボジアへの土地投資の為の資金 ベトナムのみならず、カンボジアでも カンボジア、特にプノンペンとシェムリエップ地区の不動産値上がり傾向は、郊外も含め、広がりをもって続いている。 投資では影が薄い日本ですが、カンボジアの不動産投資で大成功している個人の某日本人が、 バンコクで十年前、数十年前に起こったことが、カンボジアでも起こりつつあります。 |
カンボジア、空前の不動産ブーム
プノンペンに超高層ビルの建設ラッシュ、火付け役は韓国資本 都市中心部の建設現場で、取り壊した古い病院の跡地の瓦礫を黄色のショベルカーが片づけ、ヘルメットをかぶってゴム長靴をはいた何十人もの作業員が地面を平らにしている。ありふれた光景だが、意外なのは、この現場がカンボジアの首都プノンペンの市街地、モニボン通りとシアヌーク通りが交差する場所だということだ。 大量虐殺を行った悪名高きカンボジア共産党(ポル・ポト派)による統治からの復興に苦闘した30年間を経て、カンボジアは今、不動産ブームの真っ只中にある。計画通り進めば、この建設現場には間もなくカンボジア初の超高層ビルが姿を現すことになる。韓国資本で建設される42階建ての超高層マンションだ。 数キロ離れた川近くでも、別の超高層ビルの建設現場で作業員が整地作業を行っている。これも韓国資本によるもので、52階建てとさらに大規模だ。 10年前、プノンペンには道路信号ひとつなかった。今では土地投機家が大儲けし、新規開発物件には入居希望者が集まってくる。つい最近まで、あちこちに電線が垂れ下がり、通りにはゴミがあふれ、荒廃した状況だったプノンペンが変貌を遂げつつある。市内の至る所でスラムや古い長屋が買い上げられ、一斉に取り壊されて、高層マンションやオフィスビル、ショッピングモール、新築住宅に生まれ変わろうとしている。 開発が進むのはプノンペン市内だけではない。古代寺院遺跡アンコールワット近くの地方都市シェムリアップでも、目をつけた開発業者によってホテルの新規建設が続いている(BusinessWeek.comの記事を参照:2008年4月21日「Angkor Wat: A Temple to Tourism?」)。 詳しい内容は日経ビジネスオンラインのこちらをご覧ください。 |
カンボジア、空前の不動産ブーム
プノンペンに超高層ビルの建設ラッシュ、火付け役は韓国資本 都市中心部の建設現場で、取り壊した古い病院の跡地の瓦礫を黄色のショベルカーが片づけ、ヘルメットをかぶってゴム長靴をはいた何十人もの作業員が地面を平らにしている。ありふれた光景だが、意外なのは、この現場がカンボジアの首都プノンペンの市街地、モニボン通りとシアヌーク通りが交差する場所だということだ。 大量虐殺を行った悪名高きカンボジア共産党(ポル・ポト派)による統治からの復興に苦闘した30年間を経て、カンボジアは今、不動産ブームの真っ只中にある。計画通り進めば、この建設現場には間もなくカンボジア初の超高層ビルが姿を現すことになる。韓国資本で建設される42階建ての超高層マンションだ。 数キロ離れた川近くでも、別の超高層ビルの建設現場で作業員が整地作業を行っている。これも韓国資本によるもので、52階建てとさらに大規模だ。 10年前、プノンペンには道路信号ひとつなかった。今では土地投機家が大儲けし、新規開発物件には入居希望者が集まってくる。つい最近まで、あちこちに電線が垂れ下がり、通りにはゴミがあふれ、荒廃した状況だったプノンペンが変貌を遂げつつある。市内の至る所でスラムや古い長屋が買い上げられ、一斉に取り壊されて、高層マンションやオフィスビル、ショッピングモール、新築住宅に生まれ変わろうとしている。 開発が進むのはプノンペン市内だけではない。古代寺院遺跡アンコールワット近くの地方都市シェムリアップでも、目をつけた開発業者によってホテルの新規建設が続いている(BusinessWeek.comの記事を参照:2008年4月21日「Angkor Wat: A Temple to Tourism?」)。
完成すれば現在プノンペン市内にある一番高いビルの3倍を超えることになる超高層ビル群の建設は、最も野心的な開発だ。同時に大きな議論の的にもなっている。開発する韓国のヨンウ(本社:ソウル)は、総工費2億4000万ドルをかけた住商複合のツインタワー「ゴールドタワー42」を3年半で竣工する予定だ。 現地営業責任者テング・リティー氏は、既に「カンボジアの政府高官やアジア諸国の外国人」が相次いで景気良く手付けを打っており、「物件は8割程度埋まっている」と胸を張る。 超高層ビル開発の必要性については、すべての人の意見が一致しているわけではない。弁護士、銀行家に加え、現地資本の不動産業者の多くは、事業として実際に採算が合うのか、新たな建設に需要があるのかと首をかしげている。 これまでのところ、新築物件の借り手はすぐに見つかっている。市内に現代的なオフィススペースが不足しているためだ。入居を決めた世界銀行は、迷路のような廊下でつながったウサギの巣のような建物にオフィスを構えている状況だ。 だが、超高層マンションなどカンボジアでは全くなじみのない存在だ。ほんの少し前まで不動産は捨て値で売られており、40階にある160万ドルの分譲マンションを売り出すことなど誰も考えなかった。 「いささか時期尚早だと思う」と懸念を示すのは、カンボジアの不動産大手ボンナ不動産のスン・ボンナ社長。「開発関係者は必ず成功すると言っているが、どうなるか分からない。成功しなければ、我々にも悪影響が及ぶ」。 ボンナ社長は、不動産市場そのものがカンボジアでは産声を上げたばかりで、この先どのように展開していくのか誰にも予測できないと語る。「もともと我々にとって不動産は共有財産で、売買するものではなかった。だがポル・ポト政権が倒れてから、欲しければ欲しいだけ不動産を手に入れることができるようになった」。同氏によれば、現代的なレストラン、オフィスビル、商業施設用の物件は供給が不足しているが、住宅物件の需給はバランスが取れているという。
今のところ、市場の見通しは明るい。カンボジアのフン・セン首相は、大規模な開発案件を次々に認可している。スリ・タマロン補佐官によれば、同首相はもっと高層ビルを増やしたい意向だという。地価も上昇を続けている。 間口4メートル、奥行き18メートルで、4〜5階建て程度の川沿いの典型的な店舗付き住宅ビルの価格は、2006年には30万ドルだった。それが現在、60万〜70万ドルにまで上昇している。それでもベトナムの首都ホーチミンに比べればまだかなり安いと不動産業者は語る。
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カンボジアのプノンペンは今? 2006年末、カンボジアのプノンペンに行ってきた。香港、中国、韓国、台湾等の不動産投資、宅地開発が盛んで、地価は上昇を続けている。2002年に2万ドルで買った川向こうの郊外の土地も、橋が出来るという計画がある為か20万ドルになっていた。新しいビルもドンドン建ち、日本料理屋も更に増えて、駐在していた1991-1995年と比べ発展が著しい。若い人口が多いピラミッド型なので、これからも伸びるだろう。英語の話せる若者も多く、ショッピングセンター、スーパーマーケットも数多く出来ている。日本人は日本が最大の援助国であるのに影が薄い。市内のカジノでは中国語、広東語が飛び交っている。 カンボジアのビザはプノンペンの空港でUSD20で取れる(Visa on arrival)。陸路の国境も同じくUS$20だが、バーツで払うとなぜかいまだにBaht1,000となる。プノンペンの空港から出国する際は Airport Tax US$25. プノンペン市内の両替所はレートが良い。旅行代理店で割引航空券を購入するとバンコクより安い。携帯も電気製品も安い。 |
タイ投資委員会(BOI) によると、タイ資本の外国への投資は累計で、中国29億6800万ドル(06年末)、 ラオス24億700万ドル(05年末)、 ベトナム14億6900万ドル(06年6月末)、 ミャンマー13億4600万ドル(06年末)、 カンボジア1億3500万ドル(04年末)、 インド7800万ドル(06年末)だった。 ラオスへの投資は同国の外国直接投資(累計)の国別1位。 1st April, 2007 |
2004年3月、NHK World Premiumのニュース番組に自衛隊のB復興支援部隊長が出てきて懐かしかった。 1993年、当時某商社の国際業務部に出向中のB氏がカンボジアに出張に来られ、一緒に、Takeoにあった自衛隊の宿舎に大隊長を訪ねて行った。 自衛隊の食事はセルフサービスだが、残してはいけないことになっている。 宿舎現場でつかまえたという毒蛇や毒蜘蛛が飼われていた。 数年前、キルギスで起こった邦 人誘拐事件(平成11年8-10月)の際には、1995年頃カンボジアに赴任された某公使が現地に出張された画像がNHKのニュース番組に流れた。 余人をもってかえがたし! NHKといえば、数年前、プロジェクト-Xで、大林組や新日鉄と取組んだ、カンボジアのトンレサップ友好橋 (日本橋) の工事が取り上げられ、筆者の画像もチョイ役で流れていた。 当時のソクン大臣も出ていた。 NHKのWho's
Who という番組では、1991年初の出張時に世話になったプノンペン市長のチアソファラ氏の活躍が紹介されていた。 |
2005年1月(Jottings): 1991年当時は、日本料理屋はシンガポール人経営の "Midori"(今は"銀河") しかなく、UNTACの自衛隊員もよく来ていた。 その後、"平成"が出来た。 現在は、平成、銀河、長崎屋、折り紙、こころ、神戸等があり、他に、プノンペンホテル内、カンボジアーナの隣、等数は増えている。 カラオケは1993年頃、"ビッグボス"というのが出来 (今の"99")、ロシア女性の出稼ぎも数人いた。 今は、99、Mega、OX等が有名である由。 "シャラトンホテル内の高級カラオケ"(大手のシェラトンではない)はまだ営業している。 ここは、以前より、それほど怪しげではない。 NGOは"JVC" や "曹洞宗のSVA" が早い時期からカンボジアに来ていたが、今でも活発に活動されている。 俳優の二谷さんも早い時期から活動されていた。 1991年当時よりの知人のなかには、今、アフガニスタンで活躍されている人もいる。 |
カンボジアに「北のレストラン」 麗人もてなし 貴重な外貨獲得源
【バンコク=岩田智雄】カンボジアのリゾート地シアヌークビルに最近、同国で三軒目となる北朝鮮国営レストラン「平壌友好レストラン」がオープンした。店内では同国の応援団「美女軍団」に匹敵するほどの麗しき女性が歌や踊りで観光客をもてなしており、北朝鮮にとっては貴重な外貨獲得源となっているようだ。 同店がオープンしたのは約三カ月前。朝鮮労働党員の男性が店長を務め、約二十人の北朝鮮女性が働いている。 女性の年齢はほぼ二十代前半だが、中には大学生や高校生も含まれている。英語や中国語、クメール語を話せる女性が本国から派遣されているらしく、客のもてなし方も十分に教育されている。チマチョゴリ姿で北朝鮮の歌や踊りを披露するだけでなく、日本語や中国語の歌も歌うことができる。 カンボジアは北朝鮮とは特別な関係にあり、シアヌーク前国王はかねて故金日成主席と親密な関係にあった。最近もしばしば北朝鮮を訪問し、金日成氏の息子の金正日総書記からは手厚いもてなしを受けている。 前国王夫妻のボディーガードは以前から北朝鮮兵が務めている。後継者として昨年即位した長男のシハモニ現国王も、ポル・ポト政権時代に北朝鮮に留学し、ボディーガードもやはり北朝鮮兵が務めるという間柄だ。 また、カンボジアでは、昨年九月には脱北者九人が当局に拘束され、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に引き渡されたとされ、中国やベトナムを経由して多くの脱北者が流入しているとみられている。 カンボジアの北朝鮮国営レストランはこのほかにも、首都プノンペン、そしてアンコールワットがあるシエムレアプにもある。シアヌークビルには、美しいビーチが広がっており、最近はリゾート開発が進み、欧米からの旅行者が多い。一九六〇年代にシアヌーク氏が港を開いたことから「シアヌーク町」の意味の名前が付けられた。 (産経新聞) - 2005年 3月22日3時10分更新 |
カンボジア - Jottings ; (2000年10月) 1) 1991年2月に内戦中のカンボジアに乗り込んだ。 当時は国際電話も非常にかかりにくく,まともなHotel は Hotel Cambodiana のみ。 とは言っても聞くと見るとは大違いで,Phnom Penh 市内はそれほど危険ではなく夜中も人通りが多かった。その当時からVietnam 人の出稼ぎ労働者が多く目に付き,中国系の顔立ちの人もけっこう多かった。 2) 1991年4月に Laos のVientianeに出張所を開き、VientianeのCambodia大使館の紹介で5月に又、Phnom Penhに入り、以来Cambodiaの魅力に取り付かれ毎月の様に出張した。 こういう国でのSurvival のknow-howは3年半のTanzania駐在時に身についている。 地雷は市内にはないが, 工事現場で不発弾がたまに出て来た。 3) 翌1992年4月にはプノンペンにも某商社の出張所を開設し、Vientiane との兼務となり,1995年5月まで駐在した。 今は3代目の所長がいるが,当時のNational Staff はそのまま残っている。 日本料理店も数多くでき、一流Hotelもいくつか出来てGolf場も二ヶ所あり,生活環境はかなりよくなっている模様。 オートバイの5人乗りは今もよく見かける。 4) Phnom Penhはメコン河とトンレサップ川の合流点にあるが、トンレサップ川の流れは乾期の一時期逆流する。即ち,トンレサップ湖がメコン河の水量の 調整池の役割を担っている。 ここではRiver Lobsterがとれるが、川に塩分が若干ある為といっていた人がいた。 その人によると,トンレサップ湖の東北にあるアンコールワットが栄えたのも昔の船が木造の為,海洋に出た際に船腹についたカキガラを真水でとる必要があり、トンレサップ湖まで来なければならなかった為とのこと。 そう言えば中国の文明も内陸から始まっている。 5) 1991年より、何もないところからどうやって国の経済が発展するのかの一例を目の当りにした訳だが、規制がないので (憲法も外為法も税法もなかった)、 すぐ携帯電話,衛星TVか普及し、スーパーには物が豊富に並べられる様になった。 海賊版のビデオが出回り、古着や中古車も大量に入ってきた。 又,急激に英語も話せる人が増えた(高収入となる為)。 現在はITに詳しい人も増え、インターネットの接続料も安い由。 6) パリ和平調印後日本大使館が開設され、国会議員も多く来て面談の機会も多かったが、渡辺元外相の話が一番面白かった。 その時もらったミッチーと書かれているツメ切りは今でも使っている。 7) 1992年初に大林組の部長と国道No.5/6の調査に行った際に、現地政府の御役人に同行して貰った。 前後に軍隊の護衛車がつき、我々の車にも兵隊が一人Bazooka砲を抱えて乗り込んできた。 ポルポト派の攻撃に備えたものだが、周りは水田で危険を感じるような事は無かった。 それ以前にも国道No.1,2,3及びNo.6Aを走破したが、橋があちこち落ちており、4WDでも行けないところはMotorbikeで走った。 8) Phnom Penh郊外には、軍隊が Rifle, Pistol, 機関銃, 手榴弾で遊ばせてくれる所が有った。 一発1ドルなので 機関銃を撃たせて貰うと スグ5-10ドルになってしまう。手榴弾は重過ぎて 遠くへ投げる自信が無かったので遠慮した。 ライフル は百発百中だったが ピストル はさっぱり当たらなかった。 |
百済る話 中国-雑記帳 輪廻転生/暁の寺 ひとりごと(バンコク) バンコク生活情報 CHANTY リンク集(タイ)
holiday-palace.com(Poipet, Cambodia)
中国及び香港との貿易急伸するカンボジア 2006/08/02(水) 11:01:36更新 蘇るカンボジア(1)−加藤修
カンボジアは今、復興が一段落し、新たな成長へと飛び立とうとしている。特に首都プノンペンはかつてフランスが作り上げたインフラ基盤を活用していることもあり、気がつけば人口100万人を超える大都会へと成長した。外来人口や外国人を含めれば200万人という説もある。 プノンペンの町はトンレサップ川とメコン川が合流する地点にある。文字通り交通の要衝であり、今後ホーチミンとバンコクをつなぐ陸路、第2東西回廊が整備されていけば、インドシナの重要都市として存在感を増すことになろう。輝くばかりの文明をこの世に作り出したクメール帝国。その誇りが、戦乱で崩壊したこの国の再生を力強く支えている。 1970〜90年代まで続いた内戦を経て、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)主導で再生されたこの国はまた、インドシナで最も英語の通じる国でもある。産業が崩壊し、英語ができなければよい職に就けなかったことも一因だが、インドと似て英語を話す人材は多い。アンコールワットに代表されるクメール文化を見れば、源流となったインドの影響を色濃く受けた国というべきであろうか。 日本人のイメージでは、カンボジアは地雷と虐殺の国。内戦後も治安の安定しない危ない国。そして世界遺産、アンコールワットの国である。危ないという意識がある反面、アンコールワットに出かけていく人々が増え、危なそうだけど行ってみたいという、相反した思いを持っている人が少なくないはずである。 実際に現在のカンボジアを見れば、マイナス面の情報は古い情報であり、既にカンボジアは大きく変化し始めていることが分かる。プノンペンのトンレサップ川沿いには洒落たバーが多数並び、夕刻は夜風に吹かれながらくつろぐ白人で埋まっている。王宮はバンコクのそれに似ているが、小さくしたようなイメージだ。そして空港はインドシナでもトップレベルの清潔な空港である。日本のODAとアジア開発銀の支援で急ピッチに整備が進み、物流を中心としたインフラ整備の進展が著しい。日本料理屋やインターナショナルスクールも複数ある。 |
アンジェリーナ・ジョリーに公民権−カンボジア カンボジアのシハモニ国王が、米人気女優アンジェリーナ・ジョリーに公民権を授与したことが12日、明らかになった。カンボジア政府高官によると、同国での森林保護事業への貢献が評価され、7月31日に決定したという。 ジョリーが非政府組織(NGO)とともに発足させた森林保護事業は、同国北西部で実施され、2004年からの3年間の予算150万ドル(約1億6000万円)のうち、既に半額を負担。同年七月にはフン・セン首相と会い、環境保護を訴えて北西部の水力発電計画を撤回させた。最近では貧困農民のために牛300頭を寄付した。 ジョリーさんは02年、カンボジアから養子を迎えるなど同国と縁が深く、北西部バタンバン近郊に別邸を所有している。 サンスポ ニュース速報:2005年8月12日(金) |
大使館からのお知らせ(危険情報)
Wed, 12 Feb 2003 在留邦人の皆様へ
当国の危険情報が下記の通り更新されました.ご留意ください。 ======== 海外安全ホームページ ==========
外務省海外安全相談センター
〒105 - 8619 東京都港区芝大門2-5-5 電話:03-3580-3311
内線2902、2903 ============================== 2003/02/12:渡航情報(危険情報) ※
本件渡航情報は下記の通り発出されましたが、随時更新されます。 (件名) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 カンボジアに対する渡航情報(危険情報)の発出 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (内容) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ●プノンペン特別市、シハヌーク・ヴィル特別市、カエプ特別市、カンダール州、タケオ州、コンポン・スプー州、コンポン・チャム州、コンポン・チュナン州、プレイ・ヴェーン州、スヴァーイ・リアン州、コンポン・トム州、カンポート州、シアムリアップ州(シアムリアップ市と同市に近接する遺跡のみ、バッタンバン州(バッタンバン市のみ):「十分注意して下さい」(継続) ●上記以外の地域:「渡航の是非を検討して下さい」(継続) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ☆詳細については、下記の内容をよくお読み下さい。 カンボジアへの渡航を予定される皆様及び同国に滞在されている皆様へ 1.概況 カンボジアにおいては、長年にわたった内戦が遺した銃器や手榴弾等の武器が反政府組織の手に渡ったり、一般社会へ大量に流出したままとなっており、凶悪犯罪が多発する一因となっています。都市部以外の数多くの広範な地域では、治安当局の力が及ばず、武装強盗団や誘拐団が出没しています。首都プノンペン特別市では、2000年11月23日深夜から翌未明にかけて、自動小銃やロケット弾等で武装した反政府テロ組織「カンボジア自由戦士」(CFF)の数十名が、市内の政府軍兵舎、閣僚評議会、国防省、テレビ局、鉄道駅等を襲撃したものの、治安部隊に鎮圧され、CFFメンバーを中心に8名が死亡、数十名が負傷しました。また、2001年7月4日には、プノンペン市内の二つのホテルが反政府と認められる団体により連続して爆発され、数名が死亡する事件が発生しています。シアムリアップ市では、2002年12月15日、反政府組織がTNT爆薬を使用した計3個の爆弾をベトナム人が経営する風俗店等に仕掛ける事件が発生しまし たが、通報により到着した警察官が爆発発生前に爆弾を処理し、被疑者も逮捕されました。 日本人を含む外国人を狙った犯罪も増加傾向にあり、2000年12月24日未明には、プノンペン市内のディスコ前で、日本人男性旅行者3名が現地の若者グループからナイフ、ガラスビン等で暴行を受け、2名が頭部や腹部に打撲傷や刺傷等を負う事件が発生しました。また、2002年8月3日には、日本人女性の滞在者が、入居していたアパートに侵入した被疑者に凶器で頭部を殴られ、 頭蓋骨骨折の瀕死の重傷を負う事件が発生した他、同年8月23日には、在留日本人男性が自動車を運転中にオートバイと接触事故を起こした直後、相手に追跡され、後方から拳銃で銃撃される事件が発生しています。 一方、2003年1月29日から同30日にかけてプノンペン市内で発生した反タイ 暴動では、在カンボジア・タイ大使館の他、タイ系企業やホテル計13箇所が放火、略奪の被害に遭い、ホテルに宿泊していた日本人数名が現金を含め殆ど全ての所持品を奪われる被害に遭っています。 2003年7月には総選挙が行われますが、前回1998年の総選挙では、政党間で武力衝突が発生し、プノンペン市内に在住していた日本人1名が巻き込まれて死亡する事件が発生した他、デモ隊に手榴弾が投げ込まれ多数の死傷者を出す事件も発生していますので、各政党の動向を注視する必要があります。 2.地域情勢 (1)プノンペン特別市、シハヌーク・ヴィル特別市、カエプ特別市、カンダール州、タケオ州、コンポン・スプー州、コンポン・チャム州、コポン・チュナン州、プレイ・ヴェーン州、スヴァーイ・リアン州、コンポン・トム州、カンポート州、シアムリアップ州(シアムリアップ市と同市に近接 する遺跡のみ)、バッタンバン州(バッタンバン市のみ):「十分注意して下さい」 この地域へ渡航される方は、「3.滞在にあたっての注意」を参考にするとともに、特に観光地化が進んでいる下記の地域については、次の地域情勢に十分注意して下さい。 (イ)プノンペン特別市 プノンペン特別市においては、一般犯罪が多発し、国内で最も多く刑事事件が発生しています。日本人が犯罪被害に遭遇する例としては、バイクタクシー利用中の強盗や窃盗事件、宿泊費の安いホテルやゲストハウスに宿泊中の盗難事件が最も多く、犯罪者のほとんどが銃で武装していますので注意が必要です。被害者が犯人に抵抗して銃で撃たれる事件も発生していますので、強盗の被害に遭った場合は、抵抗しないことが大切です。 また、野党系団体による無届のデモや集会が散見され、暴力行為に発展する事案も発生していますので、デモに遭遇した場合は、近くのホテル・商店等に一時退避し、近づかないようにして下さい。 (ロ)シアムリアップ市及び同市に近接する遺跡 現地警察当局は、個人旅行者の被害が目立っていることから、個人旅行をできる限り避けるよう要請しています。したがって、同地域へは、個人単位での旅行を避け、不測の事態にも適切に対応できるよう、現地事情に熟知し日本人への対応が可能な旅行会社のガイドを同伴することをおすすめします。シアム・リアップ市から離れたバンティアイ・トム、プノム・ポック、プノム・クーレン等の遺跡については、治安や地雷の問題があることから、引き続き観光を控えることが安全上適切と考えられます。バンティアイ・スレイ 遺跡については、現地事情に精通したガイドを同伴し、日の高い時間帯にタクシーを利用して観光して下さい。 アンコール・ワット遺跡ツアーに参加した高齢の日本人旅行者が病死する事 案が3年連続で発生しています。高温多湿の気候の中での観光となりますので、体調には十分注意することが必要です。また、遺跡には、急な階段や足場の悪い場所もあり、バッケン寺院等では、転倒して負傷する旅行者も出ていますので、見学中は足元にも十分ご注意下さい。 (ハ)シハヌーク・ヴィル特別市及びカエプ特別市 海岸における盗難事件(置き引き等)が発生しています。荷物の管理には、十分注意するとともに、海水浴は危険な場所を避けて下さい。 (2)上記以外の地域:「渡航の是非を検討して下さい」 この地域では、事件事故の発生時における警察の迅速・適切な対応が不可能に等しい状況にあります。日本人旅行者が利用可能な医療施設も皆無の状態で、道路が整備されていないため、緊急に医療措置が必要な場合の搬送体制も確立されていません。また、通信網が整備されていない地域が広範囲に及び、通信手段が存在しないことから、緊急時の連絡が困難です。さらに、北西部の各州では、内戦中に埋設された地雷の多くが除去されていないため、毎年多数の死傷者が出ています。 つきましては、同地域への渡航を予定されている方は、渡航の是非を含め自らの安全につき真剣に検討を行い、渡航される場合には、現地事情に精通した十分信頼できるガイド等を必ず同行させるなど、十分な安全対策を講じて下さい。また、「3.滞在に当たっての注意」を参考にするとともに、下記の地域については、次の地域情勢に留意して下さい。 (イ)パイリン特別市 旧ポル・ポト派の影響力が依然として残っている地域です。今後、旧ポルポト派幹部の裁判をめぐり不測の事態が発生する可能性も否定できません。 (ロ)バッタンバン州 地雷による死傷者がカンボジアで最も多い州です。州西部を中心に、州面積の30〜40%が危険地域となっています。幹線道路を外れて通行したり、不用意に農地、空き地、森林に立ち入ることがないよう十分注意して下さい。 (ハ)バンティアイ・ミアンチェイ州及びオッドー・ミアンチェイ州 両州では、タイへ出稼ぎに行くカンボジア人が通過するタイとの国境付近において、2002年11月以降、タイ政府軍等によるカンボジア人に対する銃撃事件が続発し、危険な情勢となっております。2002年11月3日には、オッドー・ミアンチェイ州バンティアイアンピル郡でカンボジア人労働者1名が射殺され、また、同年11月15日には、バイティアイ・ミアンチェイ州トモプーク郡でカンボジア人1名が射殺、1名が負傷する事件が発生していますが、これらの二つの事件は、いずれもカンボジア領内で発生したものです。また、両州では、住民の居住区域にも数多くの地雷が埋設されたままとなっており、バンティアイ・ミアンチェイ州はカンボジアで二番目、オッドー・ミアンチェイ州は同三番目に地雷による死傷者が多い地域です。 (二)モンドル・キリ州及びラッタナー・キリ州 両州では、ベトナムの山岳少数民族によるカンボジアへの不法入国が依然として問題となっており、ベトナムとの国境付近では治安部隊による警戒態勢が続いています。 3.滞在にあたっての注意(渡航者全般及び長期滞在者) 滞在中は、下記の事項に十分留意して行動し、危険を避けるようにして下さい。また、外務省、在カンボジア日本国大使館、現地関係機関等より最新の情報を入手するよう努めて下さい。 (1)渡航者全般向けの注意事項 (イ) 国内の広い地域で地雷の危険があるため、不用意に森林、空き地、農地等へ立ち入らないで下さい。 (ロ)
日本人の旅券の盗難、紛失事案が後を絶ちません。カンボジア国内で旅券の盗難被害に遭ったり、旅券を紛失した場合、カンボジアからの出国査証を取得することが必要となり、取得までに1週間以上を要します。旅券の保管管理には十分注意して下さい。 (ハ)
カンボジアへの入国は、治安上問題がある陸路や水路を避け、空路を利用して下さい。プノンペン特別市、シアムリアップ、バッタンバンの各市への移動についても危険な陸路、水路を避け、空路を利用して下さい。水路 については、警備警察官が同船し救命胴衣が備え付けられ、乗船定員の守られている高速船については概ね安全と認められますが、これらの条件を満たしていない小型船等による水路の移動は避けて下さい。 (ニ)
プノンペン特別州から近郊州へ旅行する際は、日の高い時間帯のうちに定期バスまたはチャーターしたタクシーを利用し、できればガイドを同行させ、可能な限り2台以上の車列を組んで舗装路のみを通行して下さい。コンポン・トム州南部バライ地区を中心とする6号線周辺では、国家警察が特殊部隊を投入し、武装強盗団に対する掃討作戦を行っています。また、鉄道やボートは、安全上大きな問題があるので、利用は避けて下さい。 (ホ)
カンボジアには、医療施設が整った病院はほとんどなく、緊急に手術が必要な場合には隣国等に出国する必要があります。自己の健康管理には十分注意して下さい。 (ヘ)
万一、武力衝突に遭遇した場合には、ホテル等で待機し、所在について在カンボジア日本国大使館に連絡して下さい。 (ト)
外出の際には、徒歩、バイクタクシー、シクロ(輪タク)等を極力避け、乗用車を利用して下さい。また、夜間の外出は控えて下さい。 (チ)
最近、日本人旅行者を含む外国人が児童買春・ポルノ撮影、銃器不法所持、麻薬密輸等で逮捕される事案が続発しております。これらの罪を犯せば重刑に科せられ、環境が極めて劣悪なカンボジアの刑務所で刑に服すことになります。 (リ)
クメール・ルージュ(ポル・ポト派)による共産主義革命で100万人以上の国民が虐殺される等、不幸な時代を経たカンボジアでは、政治についてみだりに議論すべきではありません。反ベトナム感情、反タイ感情が強いことにも注意して下さい。 (2)長期滞在者向けの注意事項 (イ)
3ケ月以上滞在される方は、在留届を速やかに在カンボジア日本国大使館に提出するとともに、帰国される際には、帰国届の提出を必ず行って下さい。 (ロ)自宅のドアや窓の構造等に防犯上の問題がないかどうかを確認して下さい。 (ハ)自宅や職場の周辺で武力衝突等の不測の事態が発生した場合には、在カンボジア日本国大使館に連絡して下さい。 ○外務省領事移住部邦人保護課(テロに対する問い合わせを除く) ○外務省領事移住部日本人保護課(テロに対する問い合わせ) ○外務省海外安全相談センター ○外務省海外安全ホームページ:
http://www.mofa.go.jp/pubanzen/ (所在地)No.194 Moha Vithei Preah
Norodom, Sangkat Tonle Bassac, Khan
Chamkarmom, 電話:(855-23)217161〜4 一般業務時間;月曜日から金曜日 8:30〜12:30 14:30〜17:30
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023−217−161〜164 ------------------------------------------------------------------------------ 1.概況 カンボジアにおいては、長年にわたった内戦が遺した銃器や手榴弾等の武器が反政府組織に渡ったり、一般社会に大量に流出したままになっており、凶悪犯罪多発の一因となっています。都市部以外の多くの広い地域では、治安当局の力が及ばず、武装強盗団や誘拐団が出没しています。 首都プノンペン市では、2000年11月23日深夜から翌未明にかけて、自動小銃やロケット弾で武装した反政府テロ組織「カンボディア自由戦士(CFF)」の数十名が、市内の政府軍兵舎、閣僚評議会、国防省、テレビ局、鉄道駅等を襲撃したものの、治安部隊に鎮圧され、CFFメンバーを中心に8名が死亡、数十人が負傷しました。2001年7月4日には、プノンペン市内の二つのホテルが、反政府組織と認められる団体により連続して爆破され、数名が死亡しました。 シアム・リアップ市では、昨年12月15日、反政府組織がTNT爆薬を使用した爆弾計3個をベトナム人が経営する風俗店等に仕掛ける事件が発生しましたが、通報により臨場した警察官が爆発が起きる前に爆弾を処理し、関係被疑者が逮捕されました。 日本人を含む外国人を狙った犯罪も増加傾向にあり、2000年12月24日未明には、プノンペン市内のディスコ前で、日本人男性旅行者3名が現地の若者のグループにナイフやガラスビンで暴行を受け、2名が頭部や腹部に刺傷等を負う事件が発生しました。昨年8月3日には、日本人女性の滞在者が、入居していたアパートに侵入してきた被疑者に凶器で頭部を殴られ、頭蓋骨骨折の瀕死の重傷を負う事件が発生しています。また同8月23日には、在留日本人男性が、自動車を運転中オートバイと接触事故を起こした直後に、相手の当事者に追跡され後方からけん銃で2発銃撃される殺人未遂事件が発生しています。 2003年7月には総選挙が行われますが、前回1998年の総選挙では政党間で武力衝突が発生し、プノンペン市内に在住していた日本人1名が巻き込まれ死亡した事件が発生した他、デモ隊に手榴弾が投げ込まれ多数の死傷者を出す事件も発生していることもあり、各政党の動向を注視する必要があります。 2.地域情勢 (1)「十分注意してください」の対象地域 プノンペン特別市、シハヌークビル特別市、カエプ特別市、カンダル州、タケオ州、コンポート州、コンポン・スプー州、コンポン・チュナン州、コンポン・トム州、コンポン・チャム州、プレイ・ヴェーン州、スヴァーイ・リアン州、シアム・リアップ州(シアム・リアップ市及び同市に近接する遺跡のみ)、バッタンバン州(バッタンバン市のみ) この地域へ渡航される方は、「3.滞在にあたっての注意」を参考にするとともに、特に観光地化が進んでいる下記の地域については、次の地域情勢に十分注意してください。 (イ)プノンペン特別市 プノンペン特別市においては、現在のところ政治情勢は安定していますが、一般犯罪が多発し、国内で最も多く刑事事件が発生しています。邦人が犯罪被害に遭遇する例としては、バイクタクシー利用中の強盗や窃盗事件、宿泊費の安いホテルやゲストハウスに宿泊中の盗難事件が最も多く、犯罪者のほとんどが銃で武装していますので注意が必要です。被害者が犯人に抵抗して銃で撃たれる事件も発生していますので、強盗の被害に遭った場合は抵抗しないことが大切です。また、野党系団体による無届のデモや集会が散見され、暴力行為に発展する事案も発生していますので、デモに遭遇した場合は、近くのホテル、商店等に一時退避し、決して近づかないようにしてください。 (ロ)シアム・リアップ市及び同市に近接する遺跡 現地警察当局は、個人旅行者の被害が目立っていることから、個人旅行をできる限り避けるよう要請しています。したがって、同地域へは個人単位での旅行を避け、不測の事態にも対応できるよう現地の事情を熟知し日本人への対応が可能な旅行会社のガイドを同伴することをお勧めします。シアム・リアップ市から離れたバンティアイ・トム、プノム・ポック、プノム・クレーン等の遺跡については、治安や地雷の問題があることから、引き続き観光を控えることが安全上適切と考えられます。バンティアイ・スレイ遺跡については、現地事情に精通したガイドを同伴し、日の高い時間帯にタクシーを利用して観光してください。 アンコール・ワット遺跡ツアーに参加した高齢の日本人旅行者が病死する事案が3年連続で発生しています。高温多湿の気候の中での観光となりますので、体調には十分注意することが必要です。また、遺跡には急な階段や足場が悪い場所もあり、夕日を鑑賞するスポットとして訪れる観光客が多いバッケン寺院などでは、転倒して負傷する旅行者も出ていますので、見学中は足元にも十分注意してください。 (ハ)シハヌーク・ヴィル特別市及びカエプ特別市 海岸における盗難事件(置き引き等)が発生しています。荷物の管理には十分注意するとともに、海水浴は危険な場所を避けてください。 (2)「渡航の是非を検討してください」の対象地域
パイリン特別市、コッ・コン州、ポーサット州、ボンティアイ・ミアンチェイ州、オッドー・ミアンチェイ州、プレア・ヴィヒア州、ストウン・トレン州、ラッタナー・キリ州、モンドル・キリ州、クロチェ州、シアム・リアップ州(シアム・リアップ市及び同市に近接する遺跡以外の地域)、バッタンバン州(バッタンバン市以外の地域) この地域では、事件事故の発生時における警察の迅速、適切な対応は不可能に等しい状況にあります。日本人旅行者が利用可能な医療施設も皆無の状態で、道路が整備されていないため、緊急に医療措置が必要な場合の搬送体制も確立されていません。また、通信網が整備されていない地域が広範囲に及び、通信手段が存在しないことから、緊急時の連絡が非常に困難です。さらに、北西部の各州では、内戦中に埋設された地雷の多くが除去されていないため、毎年多数の死傷者が出ています。つきましては、同地域への渡航を予定されている方は、渡航の是非を含め自らの安全につき真剣に検討を行い、渡航される場合には、現地事情に精通した十分信頼できるガイド等を必ず同行させるなど、十分な安全対策を講じてください。また、「3.滞在にあたっての注意」を参考にするとともに、下記の地域については次の地域情勢に留意してください。 (イ)パイリン特別市 旧ポル・ポト派の影響力が依然として残っている地域です。今後、旧ポル・ポト派幹部の裁判をめぐり不測の事態が発生する可能性も否定できません。 (ロ)バッタンバン州
地雷による死傷者がカンボジアで最も多い州です。州西部を中心に州面積の30〜40%が危険地域となっています。幹線道路を外れて通行したり、不用意に農地、空き地、森林に立ち入ることがないよう十分注意してください。 (ハ)ボンティアイ・ミアンチェイ州及びオッドー・ミアンチェイ州
タイに出稼ぎに行くカンボジア人が通過しているタイ国境においては、昨年11月以降タイ政府軍等によるカンボジア人に対する銃撃事案が続発し、危険な情勢となっております。昨年11月3日には、オッドー・ミアンチェイ州ボンティアイアンピル郡でカンボジア人労働者1名が射殺され、同11月15日には、ボンティアイ・ミアンチェイ州トモプーク郡でカンボジア人1名が射殺され1名が負傷していますが、これら2件の事案はカンボジア領内で発生しています。また、両州では住民の居住区域にも多くの地雷が埋設されたままになっており、ボンティアイ・ミアンチェイ州はカンボジアで二番目、オッドー・ミアンチェイ州は同三番目に地雷による死傷者が多い地域です。 (ニ)モンドル・キリ州及びラッタナー・キリ州
ベトナムの山岳少数民族によるカンボジアへの不法入国が依然として問題となっております。当国北東部国境では治安部隊による警戒態勢が依然として続いています。 3.滞在にあたっての注意(渡航者全般及び長期滞在者) (1)渡航者全般向けの注意事項 (イ)国内の広い地域で地雷の危険があるため不用意に森林、空き地、農地等へ立ち入らないでください。 (ロ)旅券の盗難、紛失事案が後を絶ちません。当国で旅券の盗難被害に遭ったり、旅券を紛失した場合、カンボジアからの出国ビザを取得することが必要となり、取得までに1週間以上を要します。旅券の保管管理には十分注意してください。 (ハ)カンボジアへの入国には、治安上問題がある陸路や水路を避け、空路を利用してください。プノンペン特別市、シアム・リアップ、バッタンバン等各主要都市への移動についても危険な陸路を避け、空路を利用してください。水路については、警備警察官が同船し救命胴衣が備え付けられ乗船定員が守られている高速船については、概ね安全と認められますが、これらの条件を満たしていない小型船等による水路の移動は避けてください。 (ニ)プノンペン特別市から近郊州へ旅行する際は、日の高い時間帯のうちに定期バスまたはチャーターしたタクシーを利用、できればガイドを同行させ、可能な限り2台以上の車列を組んで舗装路のみを通行してください。コンポン・トム州南部バライ地区を中心とする6号線周辺では、内務省国家警察が特殊部隊を投入し武装強盗団に対する掃討作戦を行っています。また、鉄道やボートは安全上大きな問題があるので利用は避けてください。 (ホ)カンボジアには医療施設が整った病院はほとんどなく、緊急に手術が必要な場合には隣国等に出国する必要があります。自己の健康管理には十分注意してください。 (ヘ)万一武力衝突等に遭遇した場合には、ホテル等で待機し、自分の所在について在カンボジア日本国大使館に連絡してください。 (ト)外出の際には、徒歩、バイクタクシー、シクロ(輪タク)は極力避け、乗用車を利用してください。また、夜間の外出は控えてください。 (チ)最近日本人旅行者を含む外国人が児童買春、銃器不法所持、麻薬密輸等で逮捕される事案が続発しています。これらの罪を犯せば重刑を科せられ、極めて環境が劣悪なカンボジアの刑務所で刑に服すことになります。 (リ)クメール・ルージュ(ポル・ポト派)による共産主義革命で100万人以上の国民が虐殺される等、不幸な時代を経たカンボジアでは、政治についてみだりに議論すべきではありません。反ベトナム感情、反タイ感情が強いことにも注意してください。 (2)長期滞在者向けの注意事項 (イ)3ヶ月以上滞在される方は、在留届を速やかに在カンボジア日本国大使館に提出するとともに、帰国する際には帰国届の提出を必ず行ってください。 (ロ)自宅のドアや窓の構造等に防犯上の問題がないかどうかを確認してください。 (ハ)自宅や職場の周辺で武力衝突等不測の事態が発生した場合には、在カンボジア日本国大使館に連絡してください。 ----------------------------------------------------------------------------------- <カンボジア>暴動の背景にナショナリズム 女優発言は虚報か (毎日新聞) 2003年[2月1日1時32分更新] 【バンコク小松健一】タイ大使館やタイ系企業を焼き打ちするなどしたカンボジアの暴動で、タイのタクシン首相は31日、カンボジア政府から、事件の真相究明と損害補償額算定のためタイと合同委員会設置の提案を受けたと述べ、「カンボジア政府は迅速に対応している」と評価した。 カンボジアでは東南アジア諸国連合(ASEAN)外相会議(6月)、総選挙(7月)を控えており、フン・セン首相は治安回復とタイとの外交、経済協力関係修復に努める方針だが、暴動を誘発したカンボジア国内のナショナリズム高揚は今後、首相の舵取りに微妙な影を落としそうだ。 暴動の発端は、18日付カンボジア紙ラスメイ・アンコールが、タイの有名女優、スワナン・コンジンさんが「(世界文化遺産の)アンコールワットはもとはタイのものだった」と発言したと報じたことだった。その後、フン・セン首相がスワナンさんを「アンコールワットを盗もうとする『泥棒スター』だ」と酷評し、一挙にカンボジア国民の反タイ感情に火がついた。 カンボジア警察は31日までにラスメイ・アンコール紙の発行人や、ラジオでタイを批判したFMラジオ局経営者ら150人以上を逮捕。同紙の報道の経緯を調査するカンボジア情報省職員は「発言は虚報の可能性が強い」と明言している。 複数のカンボジア人記者によると、半年ほど前から何者かが複数の新聞社に対し、スワナンさんがテレビドラマなどで問題の発言をしていたと指摘し、掲載するよう求めていたという。ラスメイ・アンコール紙の発行人も逮捕前、AP通信に「新聞社を訪れた3人のカンボジア人から話を聞いて記事にした」と語った。 フン・セン首相はかねて「タイの女優は肌を露出し、若者に悪い影響を与える」とタイの娯楽文化の流入を懸念。テレビ各局も政府の指示で昨年からタイのドラマや映画の本数を減らしたが、スワナンさんの報道で首相はタイの映画、番組の全面禁止を決めた。 バンコクに逃れたタイのチャチャウエ駐カンボジア大使は「警察に救援要請しても無関心で、暴徒は組織化されている印象を受けた」と述べ、意図的なナショナリズム扇動があったと示唆する。 カンボジア首相府筋は「フンセン首相は治安を重視し、総選挙にも自信を持っている。また、暴動は大きな痛手となる」と語り、首相が暴動の背後にいるとの見方を否定した上で「新聞報道に過剰反応した首相の信頼回復が急務だ」と語った。野党勢力は一斉摘発を「反体制派の弾圧」と批判。連立与党からも暴動を防げなかった首相の責任を問う声も出ている。 ■15世紀にタイ侵攻 カンボジアのクメール族は9世紀初頭、インドシナ半島のほぼ全域を版図にし、アンコールワット建造などクメール文化を発展させた。だが15世紀にタイの侵攻でアンコールワットを中心とした都を放棄。その後もタイ、ベトナム両軍の攻撃を受け、アンコールワットのあるシエムレアプやバタンバンなどのカンボジア西部がタイの実効支配下にあった。 カンボジアは1863年、フランスの保護国となり、フランスによる交渉で領土を回復したが、インドシナへの軍進駐でタイとの友好を求めた日本の調停で1941〜47年の間、再びタイ領に編入された。暴動を招いた新聞報道は、領土問題で不満を抱えていたカンボジア民衆の反タイ感情を刺激したようだ。 |
■タイ・カンボジア国境閉鎖で閑散と |
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http://www.krorma.com/care/careadvice.html 海外からの不動産購入希望者の皆様へ 提供: C-A-R-E(カンボジア不動産会社(カンボジア政府認可済)) http://www.angkorrealestate.com/advice_for_buyers.php
【目次】 - Land and Property Ownership (section 3) - Purchasing Options available to Foreigners (section
4) - Staging of Payments (section 5) - How to form a Company in Cambodia (section 6)
- Methods of Land Title Registration (section
7) - Administrative Costs (section 8) - How to Rent Property in Cambodia (section 9)
- Links (section 10) - The Current Political Situation (section 2) 歴史上、内戦などカンボジアの過去の悲劇は、長い間この国の発展の妨げとなっていた。そして、その激動の時代は、今なおもって1970から’80年代の政治情勢の不安定さを残し続けていた。
将来的見込みのある外国投資家たちは、しばしばカンボジアでの不動産投資について躊躇する傾向が見られる。その理由は、土地の基本財産/資産管理とその資産所有権に関する情報不足によるところが少なからずある。
大枠での、カンボジアでの土地購入及び資産所有、土地及び資産の長期賃貸借の方法について次から明記していく。なお短期賃貸契約については別枠でご説明する。 【序盤】 【独自の法的アドバイス】 [項1: カンボジア市民と共同立上げの会社による売買] ちなみにこのやり方では、その土地投機及び資産所有権の49%が外国籍の経営者のものになり、51%が事業パートナーであるカンボジア人のものになる。しかしながら、土地投機も資産所得権利についても、カンボジア市民権を保有する者が優先的に承諾書に書名しなければならず、外国籍の人に対しては、公的な弁護士を通じて、その土地の所有権と会社運営の事業承諾書を作成しておかなければならない。 <追記1 土地及び資産購入について> <追記2 土地及び資産売買と未収収益> [項2: 個人所有資産の売買、及び土地資産の長期賃貸] 個人所有の土地又は資産の賃貸権還元に関する基本財産は、既に購入済の資産が外国人から(殆どの場合)他の外国人へと委譲/転売されている。しかし、土地保有の期間延長や賃貸条件の調整は、カンボジアの土地と資産管理の保障制度に適宜に見合わせている。つまり、カンボジア市民に対して高い信用度が推奨されていることになる。 この項の規約の下では、外国籍投資家が所有の土地又は資産を売却し、その販売から100%の純利益の取得を持続させることができる。カンボジア市民はこの販売に拒否権を出したり妨害することは許可されない。 一度、土地の所有権がカンボジア市民の手に委譲されたら、外国籍投資家は新な土地登記に使用される元本を継続して残すことができる。これは、パートナー契約をしていたカンボジア人がその土地資本を売却させないための、外国人投資家のその資本を保障するための防衛策になる。土地資産の販売は、土地登記の元本なしでは不可能だからだ。 土地登記とその土地の賃貸契約了承のコピーは、土地管理・都市機能管理・建設局(the office of the Department of Provincial Land Management, Urban Planning and Construction)に登録し、適切な地方行政と中央政府機関にも同様に提出する。特に重要なのは、土地登記書のコピーと賃貸了承契約書は、土地台帳管理局(the Cadastral Land Registry Office)に必ず保管させなければならない。 次の組織形体を持つ企業や団体、及び個人は、個人投資家のための付加価値のついた防衛策を講じるための、長期賃貸を保証することができる: 外国人投資家は、万一の臨終の際、賃貸の土地や資産を他の名義による個人または団体組織にその購入権を遺言で残すことができる。弊社Cambodia
Angkor Real Estate Co., Ltd. が強くお勧めすることは、如何なる外国籍投資家も、この万一の事態を慎重に念頭に置き、彼らの購入時期とそれに応じた賃貸契約書の起草することである。 <追記: 項2>
カンボジア王国が定める定款の下、外国籍投資家には彼らの不動産登記のため、カンボジア人との共同登録者名を選択する権利がある。それゆえ、外国籍投資家はカンボジアの土地または資産を購入することができ、購入の協力者であるカンボジア人市民の名前を直接用いた、その購入した土地または資産登録をも可能にさせている。 ※<追記1>参照 不動産登記が名義共有者であるカンボジア人市民に一旦移されたら、その外国籍投資家は新たな不動産登記の原本のコピーとしてその不動産占有権を貯留する。これは、外国人投資家のその資産を、カンボジア人市民が(未承諾のまま)その名義共有の土地資産を売却することを未然に防ぐための防衛対策になる。土地の売却は、土地登記の原本コピーなしでは不可能になるからだ。 担保付ローンまたは賃貸契約を介してのカンボジア人による外国人への委譲権利は、外国人による投資への追加保護策をもたらすことになる。 不動産登記のコピー、及びカンボジア人による外国人への委譲権利が含まれた如何なる担保付ローンまたは賃貸契約は、不動産登記を提出するための適切な地方自治体と中央政府に申請するのと同様に、カンボジア「地方土地管理・都市計画・建設管理」局に登録しなければならない。最も重要な点は、不動産登記と如何なる担保付ローンまたは賃貸契約のコピーは、土地台帳管理局(the Cadastral Land Registry Office)に必ず保管させなければならない。 上記[項3]の契約にかかるものは、次の組織形体を持つ企業や団体、及び個人で保障することができる: Cambodia
Angkor Real Estate Co., Ltd. <追記[項3]>
離婚や(意思疎通のない)別居状態になった場合、その土地や資産の分配は、その離婚や別居状態の条件に依り、もしくは裁判所の決定または離婚調停の内容に追随される。
このひとつの帰結として、外国籍人にカンボジア国内で購入する土地や資産運用のための所有権利を100%適用させることが可能になる。この調停はカンボジア「土地管理・都市計画・建設」省とカンボジア王立政府により承認される。 <注>名誉なるカンボジア人市民は、母国内の土地や資産購入の際の正当な資力としてカンボジア王立政府により承認されているが、それは元々の外国籍人には適用されない。 [脚注] - Staging of Payments (section 5) カンボジアでの土地または資産購入のための支払い方法は、融通性が利き、支払いそれぞれの段階における支払い合計金額の明確なパーセンテージも、交渉が利く。この前置きの項の後に、二つの支払い段階を紹介する。 [通常の支払い方法] この支払いに関する所要時間は、一般的に了承されていることと土地売買契約書に書かれている内容に基づく。その土地売買契約書に明記されている支払方法についての例を下記より紹介していく。 <注>
第二段階: 買い手はこの段階で、買値の40%分を支払う。これは売買にかかる承認期間に行ない、通常は1~2ヶ月の間とする。新規土地名義の購入手順におけるこの第二段階は、買い手と買主の名の下に行なわれる。その新規土地名義は、最終支払いが完了するまで(その購入予定の)土地所有者に委ねられる。 第三段階: 購入者/買主は、残りの支払額である購入価格の50%分を土地所有者へ支払う。この段階にて、その土地名義は買主に委譲され、同時にその購入が完了した土地の新しい所有者と位置付けられる。
第三段階: 購入者の弁護士または法定代理人は、登記名義が正確か否かなど、購入予定の土地に関する詳細を調べる。その後、購入者は更に土地購入総額中20%を所有者に支払う。 第四段階: 購入者は、最終的な30%分を土地所有者へ支払う。この時点で、不動産登記の名義は、支払いを完了させた購入者へと委譲され、新しい土地所有者と位置付けられる。 ≪不動産売買契約書を用いた支払いのサンプル≫ 名義人A=不動産所有者 名義人B=購入者 名義人Bは、三段階の支払い方法により、名義人Aが項2にて提示した売却額を了承する。 段階1にて支払われる前金は、了承サインが付けられた時点から 日以内とする。契約書への了承サインについて、名義人Bは支払いを第二段階に進めるため、名義人Aへの支払いを完結することを了承する。万一、支払い第二段階に至る了承期間中、名義人Bが売買を滞わせる、または支払い第二段階へと進ませることを仕損じた場合、名義人Bは自動的に違約金としてその前金が名義人Aへと納入される。※支払い第一段階の説明参照 支払い第二段階は、自治体行政本局に所属されているところ(から不動産委譲を完了させるための)支払い第二段階における より必要書類が作成されることが望ましい。 支払い第三段階(最終支払い)は、不動産名義の委譲が完了された時点で執り行なわれる。
[序] 政府が定めるカンボジアの資産(不動産含む)法規定においては、外国人はカンボジアの不動産資産を100%所有できないことになっている。また、この資本はカンボジアにて登録された有限会社に外国人として所有される共有資産として申請でき、その(起業された)有限会社には不動産管理も業務に組み込まれることを含む。有限会社における49%の不動産所有権利は外国人のものとされ、51%はカンボジア国籍人の配分となる。 [申請と企業関連書類] 見込み投資家たちは企業の定款様式を熟慮し、商業省より規定され、さらに不適切とされ、(最終的に)独立系法律家を通じて彼らの会社を独自設立の道を選ぶ。その二番目の選択のメリットは、追加の保護規定と幾つかの条件が、省庁の定める書式に追加することができる。 [企業配分と申請費用] 1 会社新規登録の資本金 4,000,000リエルまたは1,000USドル 会社の株式から外国人投資家へ開かれた手法は多数ある。例えば、株式を二つの種類に分け(上記参照)、別々の異なる株式に別々の異なる権利を乗せることは可能だ。このカンボジア人の権利調整には、新規会社の責任者が選ばれた時その投票の際に彼/彼女を前もって排除するかもしれないし、または、会社によって将来的な不動産売買取引から収益を得ることから彼/彼女の妨げになるかもしれない。 [運用のための免許(ライセンス)] 規模の大きい投資($1,000,000=凡そ1億2千万円以上)は、カンボジア開発評議会(CDC)を通じてライセンス取得が認可される。このカンボジア開発評議会(CDC)は、首都圏における開拓事業計画――病院建設、道路改善計画や街の排水設備などへの、多国籍企業における産業活動を許可したり監視したりする。 カンボジアにおけるこの一連のライセンスは、次の事業に認可が下りる: [有限会社設立費用(行政での手続き簡易化のための費用)] 2.1,000USドル(凡そ1〜2週間以内の取得可) <注>上記費用には、独立系法的アドバイスが求められた時、または民間企業の業務書類が作成された際にぶつかるやもしれない、いずれの法的費用も含まれない。また、上記費用には、株式証書の作成または配当からもたらされる如何なる管理費も除外されている。 - Methods of Land Title Registration (section
7) カンボジアでの土地登記は、次の二種類の書類を経由して登録される――領収書と証明書による。 外国人投資家が検討している場所が、その土地所有者によって引き合わされたいずれかの方法によって完成させる(その土地の)管理費用となる。 ここで言われる「領収書」とは一般に、土地または資産登記の登録の際に使われていた。その不動産資産は主要な都市圏外または遠距離域が該当されていた。また、そういった所は、土地価格が比較的低めの土地(例:$0.5-5/sqm)が登録されていた。 領収書は現地当局または自治体長より発行される。カンボジア人所有者はしばし、登記されている領収書を使用する。それが税金対策や諸サービス費用を免除する役割を持つからだ。領収書が土地登録の現地手法を大枠で持つ事実は、それが議論に用いられることができることを意味する。 「証明書」は、価格または登録された地域及び資産に拘わらず、総ての外国人購入者へお薦めする土地登記の登録手段である。証明書は<カンボジア土地管理・都市開発・建設省>に管轄される<土地台帳管理局内部署(the Cadastral Land Registry Unit)にて発行され、土地台帳へ登録する際の、安全性の高さではこれが最善の方法である。ちなみに、投資家の資本を保護するための最も高い保障を提供するための、このタイプの登録用コンサルタントリストがある。 概して、証明書はカンボジアの主要都市内で不動産登記を登録する際に地元で必要とされ、不動産価値上昇可能性の高い価値を見出されている土地(例:300ドル以上/m2)の登録、規模の大きな商業または居住用不動産の登録の際にも必要とされる。
カンボジアで土地や資産購入をする際、外国人購入者の出資/経費には、承認された土地または資産購入のための支出、それに関連する建設費用のみが該当される。その他の管理費用、税金や委託費の総ては、土地所有者と対面した際に処理が適用される。弊社Cambodia Real Estate Co., Ltd.への手数料は、購入交渉最終段階における価格の3%に該当され、この手数料は土地所有者より支払われる。また、これらは総ての売買完了時に適用される方法でもある。 How to Rent Property in Cambodia (section 9) [概要] [賃貸向け不動産の見つけ方] [家具付または家具の未設置] [賃貸期間、条件と賃貸契約書の例] 例1:月極め支払い 例2:賃貸期間交渉方法による支払い [弊社Cambodia Real Estate Co., Ltd.への手数料(賃貸の場合)] [その他] 予算: これは通常、不動産を賃貸する際に重要になる課題であり、賃貸費用の月極めまたは年間単位だけでなく、賃貸部屋にかかるその他の設備備品使用の負担額も見ておかなければならない。例えば、光熱諸費(エアコンや暖房、電化製品等)だ。 立地: 立地条件にて、昨今、賃貸不動産費用は軒並み値上がりしている。特に観光都市シェムリアプや首都プノンペンだ。それゆえ、賃貸不動産の立地及び建物内外のスペースについても懸案材料にいれておかなければならない。弊社Cambodia Real Estate Co., Ltd.は、カンボジアの主要都市/街の最新不動産情報をいつでも提供できるように備えている。 公共費用: 石油や天然ガスは通常国内需要として扱われない、しかしプロパンガスは台所(料理)に使用される。台所用に使用のプロパンガスは、年間$60は平均して超えない。電力費用はメーター制で換算される。小規模アパートメントで使用料月額凡そ$25〜30。一戸建ての邸宅になると月額$100を越える。水道代(飲料不可)は一般的に賃貸費用に含まれている。しかし、首都プノンペンのような規模の大きい街では、飲料可を含めた水道設備がなされている。この水道代は$10〜20/月。ゴミ回収費用は不動産の大きさに拘わらず月額$5となる。最後に、ペスト除菌作業は地域による。一件につき$50. 設置備品: 幾つかの賃貸不動産には、ケーブルテレビの配線が引かれており、場所によってはインターネット使用も可能になっている。(ただしインターネット接続のための諸費用は賃貸料に含まれていないため、コスト高になることを事前に留意すべし) 通常、ブロードバンド(常時接続)型は$250/月、使用のためのインストール処理費$60~70。(部屋に設置されたTVを使用条件として)ケーブルまたは衛星放送受信TVの使用費用は$5~10。 防犯設備: 外国人に対する犯罪はカンボジアで極めて稀な場合による。しかし、外国から派遣されてきた従業員は、現地の警官または民間警備会社のガードマンに防犯警備を依頼している。もし個人的にそのような防犯対策を検討する場合、現地にて独自に配備させなければならない。幾つかの高級住宅では24時間体制の防犯設備を配備させている。現地の警官または軍部による24時間防犯配備にかかるコストは月額$70。民間の防犯対策警備には$150/月で、同様に24時間体制扱いとなる。 なお、賃貸不動産の全様をご覧になりたい場合は、弊社Cambodia Real Estate Co.,Ltd.のWebサイトに掲載しているのでこちらをご覧いただきたい。 - Links (section 10) http://www.cambodia.gov.kh |
投資法 第1章 【総則】 第2章 【カンボジア開発評議会(CDC)】 第3章 【投資手続き】 第4章 【投資に対する保証】 第5章 【投資に対する奨励】 第6章 【土地の所有権と使用】 第7章 【雇用の実施】 第8章 【紛争と解散】 第9章 【最終規則】 1994年8月4日 議長 http://www.cambodiawatch.net/cwbusiness/law/toushihou.php より抜粋 |
http://www.krorma.com/care/index.html
http://www.khmerrealestate.com.kh/
ACT Realestate Mr Longthareth, General Director House No.297/299 Norodom Blbd. Mobile:012−233−389 Office:023−222−208、023−222−207 |
CARE TaiyoRealestate
"不動産会社で依頼している信頼できるカンボジア人と法律事務所で作成してもらった契約書で契約する方法"?:
"信頼できる"根拠は??? |
シェムリァップ(アンコールワット):AMATAO Tropical Residence
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カンボジアでの法人登記書類作成、工場建設/土地購入支援
Jetro HPより:http://www3.jetro.go.jp/ttpp/JAN.CR06_JAN?id=1101051&corner_id=999 カンボジアに対する、投資、法人設立、工場建設、工場用地の選定、購入を全面的にバックアップします。法的問題も全てお任せ下さい。 サービス概要: カンボジアに提携企業あり。 価格例、実績 カンボジアは、立憲君主国家であり、日本と同じ議会民主政治の国家であり今や安定した国家として、年10%の成長を続けております。周辺に有るような一党独裁国家ではありませんのでカントリーリスクもありません。 今プノンペンの近郊では、工場建設が続々進んでおり、中国、韓国、台湾、シンガポール、アメリカなどが進出してきております。国民の教育熱は高く、人件費等のコストも廉価なので、工場移転には適しております。税金最大9年間無税措置や、工場設備品、輸入資材無税処置、土地使用権99年等、日本との投資協定も締結されております。
日本は国としては最大の援助国であり、ODAにより、多くのインフラが整備されてきました。国際港であるシアヌークビルではコンテナーヤードも整備されており、製品の輸出入には全く問題ありません。 しかしながら、日本企業の民間投資は中国、韓国の数十分の1であり(ここ十年間でたった20億円に過ぎない)せっかくODAでつくったインフラを悠々と利用しているのは外国勢ばかりという状況です。 中国一辺倒から、他国はドンドンリスク分散しているのに日本は完全に出遅れている。東南アジアにおける日本の立場もせっかくのカンボジアに於ける親日感情も、このままでは役に立たないばかりか、おかしくなってくる。 正確なカンボジア情報は日本にはほとんど入っていませんが、プノンペンは実質人口300万人、スーパーは日本のスーパーと変わらず、全てラップで品物はくるんであり、清潔感に溢れています。夜ともなればカフェテラスで皆食事を楽しんでいます。(地雷なんぞはタイとの国境の外れのごく一部にしか有りません)治安も全く問題ない。 日本国内では、環境保護に力を入れており、CO2削減機器の販売、コンサルをしております。コストもなるだけかけずに導入致します。 |
丸紅、香港・新華集団(Sun Wah Group)との海外不動産事業における戦略的提携に関する覚書締結の件 Tokyo, Feb 29, 2008 - (JCN Newswire) - 丸紅株式会社(TSE:8002、以下「丸紅」)は香港財閥である新華集団(Sun Wah Group)と海外不動産事業における戦略的提携に関する覚書(Global Strategic Alliance Protocol)を2月29日付で締結いたしました。 新華集団とは現在、海外不動産事業において、事業会社に共同出資するスキームにて、3案件(1. ベトナム:ホーチミン市でのオフィス賃貸事業(稼働中)、2. 中国:北京でのサービスアパートメント事業(稼働中)、3. 中国:天津市での複合開発事業(開発中))の共同事業に取り組んでおります。 今回のGlobal Strategic Alliance Protocolでは、これまでの共同事業の実績、信頼関係を更に進化させ、新華集団、丸紅ともに双方を戦略パートナーと位置づけ、今後も発展が見込まれる中国、香港、ベトナム、カンボジア等の国々で、双方のネットワーク・ノウハウを生かし、不動産事業のみならず、その他ビジネスフィールドにおいても新規共同事業・取引を展開していくことを目指しています。 新華グループ概要: 共同事業概要: 2. Total Express Investments Ltd.
(北京でのサービスアパートメント事業会社への投資会社)への共同出資(丸紅出資=2006年)。 3. Sun Wah (Tianjin) Properties
Ltd.(天津での複合開発事業の開発会社への投資会社)への共同出資(丸紅出資=2007年)。 概要: 丸紅株式会社 プレスリリース 丸紅株式会社 |
Official e-Visa by Kingdom of Cambodia | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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Grand Phnom Penh International City 老後はここで?
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カンボジアの歴史 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 古代 6世紀には、カンボジア国家の起源とみなされている国、すなわち中国史料にいう北方クメール人による真臘(しんろう、チェンラ)が勃興した。この国は扶南の属国であったが、7世紀には扶南を滅ぼし、ジャヤーヴァルマン1世(657年 - 681年)の治世の頃に最大となった。インド文化の影響を受けサンスクリット文字を使用したが、クメール文字も使われ始めた。真臘は、現在のカンボジアとラオス南部、つまりメコン川流域を領土としていたと推測されている。 しかし、ジャヤーヴァルマン1世の死後、古代カンボジアは、中国の記録に見える北の陸真臘と南の水真臘に分裂し弱体化し、8世紀にはジャワ王国のシャイレンドラ朝支配下に入った。 中世 1113年、スールヤヴァルマン2世が即位し、国内を統一、チャンパ王国 (Ch?m Pa) や大越国 (??i Vi?t) へ攻め入った。王国の範囲は、タイ中部、マレー半島、ベトナム南部に及び、また、彼は寺院建築にも熱心で、クメール美術の最高傑作であり、自身の墓でもあるアンコール・ワットを始め、トマノン、バンテアイ・サムレなどのヒンズー寺院を建築した。 スールヤヴァルマン2世死後、王位を巡り争いが続いた。さらに1177年には、チャンパの大軍が都であったヤショーダラプラを破壊した。 また、ジャヤーヴァルマン7世は、国内に102箇所の病院と主要街道に宿場を建設し、庶民の生活も重視した。しかし、大規模な寺院建設と領土獲得の遠征のため、死後は国力が衰退していったと考えられている。 13世紀にはいると元の侵攻が始まり、後半からは、アユタヤ王朝の侵攻が始まった。当時のポニャーヤット王は、1431年にシャム(現在のタイ)に近いアンコールを放棄し、翌年シャム族が首都を占領し、アンコールの栄光の時代は終わりを告げた。その後、首都は転々とし、現在のプノンペンのあるチャドモックに遷都した。
1863年、フランス植民が開始される。 1887年にはカンボジアが仏領インドシナに編入された。1907年には、シャムからアンコール付近の領土を奪回した。 1940年には日本軍がインドシナに侵攻し、この機に乗じてノロドム・シハヌーク(シアヌーク)王は1945年3月12日にカンボジアの独立を宣言した。しかし、日本が連合国に降伏すると、1946年には再びフランスの保護下に戻り、独立は消滅してしまう。 シハヌークは粘り強く独立運動を続け、1947年には憲法を公布、1949年にフランス連合内での独立を獲得した。1953年には警察権・軍事権を回復し、完全独立を果した。
カンボジア王国(1953年 - 1970年) 1956年、東南アジア条約機構への加盟を拒否した。 1960年に王であるスラマリットが亡くなると、シハヌークは王位を空けたまま国家元首という新しい位を作って就任した。1965年5月、シハヌークは北ベトナムへの爆撃を行なうアメリカ合衆国との断交を宣言した。
ロン・ノルは翌4月、アメリカ軍に自国を侵攻させた。ベトナム戦争のホーチミン・ルートを粉砕するためだったが、このために国民の不人気を買った。 シハヌークは中国(北京)へ脱出し、「カンプチア民族統一戦線」を結成した 。彼を助け、共にカンボジア帰国を果たしたのは、毛沢東主義に心酔したポル・ポト、キュー・サムファン、イエン・サリらの指揮する共産主義勢力「クメール・ルージュ」だった。10月、ポル・ポトはシハヌークを擁立してロン・ノル政権との間で内戦となった(カンボジア内戦参照)。 1971年1月、アメリカはロン・ノル政権支援のために南ベトナム派遣軍の一部をカンボジアへ侵攻させた。10月、ロン・ノルは軍事独裁体制を宣言し、1972年3月に新憲法を公布した。しかし1973年3月29日アメリカがベトナムから完全撤退したため、ロン・ノルは強力な後ろ盾を失ってしまう。
クメール・ルージュは、共産主義にもとづく強力な農業本位と民族主義を打ち出した。プノンペンを始め、中産階級的な都市住民を強制的に農村に入植させ、強制労働を科した。エリート階級や留学生、クメール・ルージュ組織内部のスパイは、政治犯収容所S21(現トゥールスレン虐殺博物館)などに収容、200万人を超えるともいわれる虐殺・粛清を行った。 1978年1月、ベトナムと国境紛争を起こし、ポル・ポトはベトナムと断交した。この頃、ベトナムはソビエト連邦との関係を強化しており、中ソ対立の構図から、中華人民共和国と関係の深いポル・ポト政権と対立することとなった。
1979年1月6日、ベトナム軍がプノンペンを攻略、幽閉に近い状態にあったシハヌークは再び北京へ逃亡、ポル・ポト、イエン・サリら クメール・ルージュ はタイ国境近くまで駆逐される。1月10日親ベトナムのカンプチア人民共和国(People's Republic of Kampuchea)が樹立され、ヘン・サムリンは書記長に就任したが、ベトナムの傀儡政権であるとして世界各国の承認を得られなかった。 同年2月には中国軍がカンボジア侵攻の報復としてベトナムを攻撃した(中越戦争)。しかし、中国は実戦経験豊富なベトナム軍に惨敗し、3月には撤収した。1981年6月にサムリンは新憲法を採択し、同時期フン・センが閣僚評議会副議長(副首相)に就任する。 1982年2月、巻き返しを図る反ベトナム三派(ポル・ポト、シハヌーク、ソン・サン)は北京で会談を開き、7月には三派による「民主カンプチア連合政府」(The Coalition Government of Democratic Kampuchea:CGDK)が成立し、サムリン政権との内戦状態に入った。 1983年2月に開かれたインドシナ3国首脳会談でベトナム軍の部分的撤退が決議されたが、3月にベトナム軍はポル・ポト派の拠点を攻撃した。 1984年7月の東南アジア諸国連合外相会談では、駐留ベトナム軍への非難共同宣言を採択した。しかし、ベトナム軍は内戦に介入し続け、1985年1月に民主カンプチア連合政府の拠点を攻略、3月にシハヌーク国王派の拠点を制圧した。 1988年3月、ベトナム首相ファン・フンが急死し、政変が起こると、6月にベトナムは軍の撤収をはじめ、1989年9月に撤退を終えた。その結果、当時首相に昇格していたフン・センはベトナム軍の支えを失って弱体化し、内戦は更に泥沼化した。 1990年6月4日5日、東京でカンボジア各派が参加する和平に向けた直接対話の場として「カンボジアに関する東京会議」が開催された。続く1991年10月23日、カンボジア和平パリ協定が開催され、最終合意文章("国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)"の設置、武装解除と内戦の終結、難民の帰還、制憲議会選挙の実施など)の19ヶ国による調印に達した。ここに、20年に及ぶカンボジア内戦が終結した。 現代「カンボジア王国」 フンシンペック党 (FUNCINPEC 正式名称は「独立・中立・平和・協力のカンボジアのための国民統一戦線」)が第一党。シハヌークの二男 ラナリットが第一首相。 カンボジア人民党が第二党で、フン・センが第二首相に選出された。 同年9月23日、制憲議会が新憲法を発布した。9月24日、シハヌークが国王に再即位、カンボジア王国が、およそ23年ぶりの統一政権として誕生した。自由で公正な選挙、選ばれた議会の憲法発布・政府設立を見届け、UNTACの暫定統治は1993年9月に終了した。 1997年7月、プノンペンにてフンシンペック党とカンボジア人民党の軍隊が衝突するという事件が起こった。第一首相であったラナリットはパリに逃亡し、約半年後の1998年3月にシハヌーク王の恩赦で帰国、9月には国民議会の議長に就任した。同年7月の総選挙で、今度はカンボジア人民党が第一党となり、フン・センが第一首相に就任している。 カンボジアは東南アジア諸国連合 (ASEAN) への加盟が延期されていたが、1999年4月に加盟を果たした。 なお、ポル・ポトは1998年4月に山中で死亡しており、12月にポル・ポト派幹部が国民へ謝罪した。2001年1月、ポル・ポト派幹部を裁く特別法廷が設置された。 2004年10月14日、シハヌークが退任、息子のノロドム・シハモニが国王に即位した。 2006年10月18日、フンシンペック党は、ラナリット党首を解任、駐ドイツ大使のケオ・プット・ラスメイを選出、第1副党首にはルー・ライスレン、第2副党首にはシソワット・スリウッド(シソワット王家の出身)が選出された。2006年11月16日、ラナリットは、ノロドム・ラナリット党(The Norodom Ranariddh Party)を設立した。 2007年3月13日にフィリピン・マニラに滞在中のラナリットに背任罪の実刑判決(禁固1年6カ月)が下っている。また4月の地方統一選挙を前にして、ラナリットが妻の告発で1月に姦通罪で訴追されていたことも発表された。 カンボジアの法律により、禁固刑の判決を受けた者は刑期の3分の2を終えないと2008年度の総選挙に立候補できないため、海外に滞在したままのラナリットの動きが注目されている。 |
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カンボジア旅行案内所 1557年にビルマ軍がシャムに侵攻したので、バロムリヤチャ王(最高王1555〜1567年)はシャムに占領されていた西部の領土を軍隊を送って奪回しました。 その後チェイチェター2世は10年間平穏に国を治めますが王の死後、内紛と権力闘争の時期が長く続きます。 1767年にはシャムのアユタヤ王朝が滅亡するという、カンボジアにとっては大きな出来事が発生します。シャムの新王朝のピヤ・タクシン王は都をバンコックに移します。 アンメイ女王の没後はベトナムはカンボジアを併合し1841年から45年までベトナム人の将軍チュン・ミン・ジアンにより統治されることになります。 ■カンボジア近代史
1975年4月17日、北ベトナムの支援を受けてクメールルージュは、首都プノンペンを陥落しました。プノンペンに入ってきたクメールルージュを見て、プノンペン市民は大歓迎をします。 ポルポトが政権を握った75年4月から79年1月までの間に殺されたり、飢餓や重労働で死亡した人数は、およそ300万人にのぼると言われています。 ポルポト政権は、その成立直後から政権内部の抗争が始まっていました。ポルポトにより、反対派が粛清されてゆき、最後にはポルポトの血縁者だけが政権内に残るような形にまでなっていたのです。 ポルポトはプノンペンを放棄して逃げ去ります。79年1月新政権が誕生し、フンセンが新首相になり、ヘンサムリンがクメール人民革命党の書記長、チアシムは国会議長になります。 |