宝石 ガイドに案内された店で偽宝石、練り物の石をつかまされる被害が世界中で出ているが、 タイ土産 タイのお土産でのいちおしはマンゴスティン石鹸(1個75バーツから)とアロマテラピー "Alternative"
at 1st Floor Siam Discovery Center(MBK寄り) クイーン
シリキット コンベンションセンター |
メコン河流域国より抜粋
A. Tanzania - Jottings- (2000年10月) 1) 1985年よりは3年半のタンザニア駐在となったが、その頃のDar es Salaamはアフリカ型社会主義を続けていた為 市場に物がなく、まともなHotelもなく、又、外国人が使えるレストランもなかった。食材も外国より運び込み、自宅に発電機を取り付け、自給自足の生活をするしか一定の生活水準を維持する方法はなかった。水の確保にも努力を要した。 象牙やマコンデの木彫は屋台で並べられていたが、古着や時計との物物交換も可能だった。 象牙の彫り物、ブローチ、ブレスレットはまだしも、ネックレスは使い勝手が悪い。 生活環境は開放経済政策に転換後徐々によくなったが、相変わらず治安が悪く強盗等の日本人駐在員の犠牲者も多く出た。 2)駐在員の子弟は International Schoolに通い、又、日本人補習校もあった。その時の子供達は何故かほぼ全員一流大学に進学した。四国よりも広い セレンゲッティやゴロンゴロと言う動物保護区があり 四輪駆動で動物を探して走り回るのは別世界の出来事の様で 野生動物の姿や景色が今でも夢の中に出てくる。 ガイドの視力2.0はあたりまえで5.0という人もいて数100メートル先の木の上の豹(Leopard)を見つけ案内してくれた。 3)アフリカ象はインド象と違い絶対に人には懐かない。現地の人も象の集団を見ると通り過ぎるまでじっと待っている。ロッジのそばに来た象にバナナをあげようとした外国人が象の鼻の一撃で即死したとの話も聞いた。ライオンはメスの集団が狩りをしてオスはそれを横取りする。ハーレムの中心にいるオスの役割はハイエナ等をおいはらうこと以外はハーレムを他のオスより守りぬくのが仕事。サイ(Rhinoceros) やチータ(Cheetah)は探すのに苦労する。シマウマ(Zebra)やキリン(Giraffe)はどこにでもいた。 カバ(Hippopotamus)やフラミンゴ(Flamingo)はいる場所が決まっている。トムソンガゼルやジャッカルも良く見かけた。 4)ロッジで夕食をとった際、カバ肉とシマウマ肉のステーキから選ばせられ、料理が来たのでナイフとフォークを手に取った時、目の前から消えた。外部から侵入して来たマントヒヒにとられた為であることがすぐわかったが逃げられた。野外では鳥のモモ肉を口にくわえようとした時,羽のようなもので頬をたたかれ 手からモモ肉が消えた。これはコンドルに横取りされた為。鳥は目が良いと再確認。 5)現地のチェコ大使館の人と仲良くなり、チェコグラスを大量に仕入れた。それが縁でチェコ製トラックタイヤの輸入も手掛けた(300万米ドル)。 契約交渉の為プラハに出張した際、この参事官の家に招待された(当時は社会主義国だったので外国人を家に招くことは稀だった)。 彼は古董品を集めていて 手書きの独語で書かれた年代物の聖書を見せてもらった。 6)熱帯熱マラリアには駐在員の半数以上かかった。早期に薬を投与すれば治り、戦時中日本兵が南方のジャングルでかかった3日熱マラリアと違い再発することはないが、手遅れとなると死ぬ。又、近海魚を充分水洗いせずに刺身にしたものを某日本人宅で食べ、コレラにかかり水も受け付けなくなり脱水症で死にそうになった。抗生物質と点滴で一命をとりとめたが、これは“好塩菌”に対する知識が無かった為。 日本で Diving Licenceを取った時も教えてもらえなかったが、日本の近海魚もよく水で塩分を流してから刺身にする必要がある(腸炎ビブリオ)。 7)タンガニーカ湖の辺りにチンパンジーの研究者が常駐しているところがあった。京大の霊長類研究所の人も来ていたが、日本人はチンパンジーの顔を見分けられると他の外国人研究者がおどろいていた。花子とか太郎といった名をつけて生態を研究していた。中波ラジオ放送局(ODA)プロジェクトの引渡し式で近くに行ったことがあるが、涼しくて空気の良いところだった。ワニが時々現れる由。 8)キリマンジェロ山に登ることも可能で、カーター元大統領や日本の某映画俳優の親子が登頂した。現地のガイドが30−40kgの荷物を平気でかついで一緒に登ってくれるので、杖一本で登山が出来るが、高山病にかかったらすぐ下山すべき。 9) タンザニアにはタンザナイトとかイエローサファイア、グリーンガーネットといった珍しい宝石もあり、いくつか買ったが、あまり大きい物は日本人には合わない。 大きな象牙も日本では置き場に困っている。 テーブル大の海亀の甲羅を1,000米ドルで買ったが、ワシントン条約で禁止されているとかで、日本の税関で没収され、破棄の費用まで払わされたo 現地でちゃんと許可書を取っていればこんな事にはならなかった。 孔雀石(マラカイト)は銅鉱山にころがっている?とかで、木彫りなみに安かった。 |
B. India - Jottings - (2000 年10月) 1) 印度には1984年陸上ガスパイプラインProjectの件でNew Delhiに約2週間滞在したことがある。 当時はインデラガンジー首相の時代で、このProjectに円借が付く可能性を聞きに出張前に通産省の担当官に説明に行ったが、"穴を掘って埋めるだけではそれほど技術もいらないのでは" とNegativeな反応だった。 2) New Delhi にてインド政府の大蔵次官や日本大使館の公使や参事官と面談時、Gas Pipeline には高度な技術が必要なことを力説した。 数日後に来られた中曽根首相が 記者団を前に (スピーチの原稿にはなかったらしいが) 本件を円借案件として考えている旨の発言をされた。 翌年アフリカの駐在となったので、その後の経緯は詳しく知らないが、1984/85/86年度計550億円の円借案件として実現した。 3) 宿泊先の某一流ホテルの水割りの氷のせいでアメーバー赤痢にかかり発熱と下痢に丸2日間苦しんだが,週末にはGolfが出来る迄回復した。 暑さには慣れているが Delhi Golf Club内に孔雀や牛が歩き回ったり寝そべったりしていたのを今でも思い出す。 4) Hotelで知り合ったインド人より"昔はインドも緑茶を飲んでいたがインドから英国に船で運ぶ途中に発酵し現在の紅茶になった"という話を聞いたが,これは俗説。 緑茶は不発酵茶故、如何に高温多湿の環境下でも発酵がすすむ事は無い。 中国では今でも緑茶をよく飲んでいるが、日本の緑茶とは熱処理の方法が違い、釜炒りが多い。 5) その当時は、株や不動産投資が成功し、若くして金回りが良かったので、ニューデリーの宝石屋で3万ドルの買い物をしてしまった。
アメックスのゴールドカードなどは持つべきではない。 6) もっと若いころ、マレーシアの易者(手相)に勧められてクアラルンプールで買った翡翠とブルーサファイアは、帰国後、巣鴨の角海老宝石店で調べてもらったら本物だった。 アムステルダムの空港で買った3カラットのダイヤは大きすぎて指輪にならないのでネクタイピンにした。 使いにくい。 |
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